昭和二十一年
○一月一日 (火) 晴 寒
午前十時、学校。新年の挨拶。
午後、外出。日活に寄る。物凄い人がつめかけてゐる。遠藤へよる。
若干咽喉の具合悪し。
一夜で歳末と正月とではやはり気分が異る。流石に正月はのんびりする。
“山新”に拙稿掲載。
○一月二日 (水) 晴 暖
午前、読書。永井荷風の“踊子”(“展望”)をよむ。
午後、外出。FCCによって原稿を渡す。“巨人”などには惜しい原稿である。山新によって土屋氏、村山氏に会ふ。昨日の山新を貰ふ。深町さんを訪ふ。紅茶を貰ふ。
祐二郎、800匁が一貫匁になった。
縣から何の連絡もなし。良い加減なものである。
発信 櫻井恒次、太田常藏、今泉三良、芦田弘夫
○一月三日 (木) 晴後曇 暖
午前、読書など。手紙を書く。
午後、外出。ホルツェルさんを訪ふ。病気のため会はず。日活へ行く。切符を受取る。大畑さんの所へよる。
入浴。
とにかく縣はけしからん。切符位持って来るべきである。
マッカーサーの指令。修身、日本歴史、地理の廃止。
夜、雨が降る。暖い。
煙草終了。
発信 桑木嚴翼、伊藤吉之助
受信 北本武男
○一月四日 (金) 雪 寒
午前、出発用意。十一時半家を出る。汽車は丁度の時間に来たが、山形駅で二時間近くも停車。午後二時出発。汽車は暮ほどはこまない。四時新庄着。五時半新庄発。縣の連中と一緒になる。彼等は呑気なもの也。六時半余目着。余目ホテルにとまる。松田氏、縣官二名、縣廰女性二人、外六人也。入浴。
吹雪猛烈なり。
○一月五日 (土) 吹雪 寒
地方事務所に公民教育の連絡無し。企劃も悪く、頭も悪く、間抜け也。渋谷繁雄氏一日中あちこちへ電話をかける。結局、今日の余目、明日の狩川は止めにして、明後日の清川から始めることにする。
一日余目ホテルにぢっとしてゐる。寒し。渋谷氏が炭を持って来てくれて助かる。
渋谷氏、藤島へ去る。
今夜はホテル賑か也。宴会あり。
宿舎に一人ポツネンとしてゐると旅愁を感ずる。
○一月六日 (日) 曇 寒
お役所の仕事の間抜けさ加減を今度はつくづく感じる。初めから企劃の不備、準備の不十分のこと沙汰の限りである。又社会教育協会のメンバーも下らない連中である。片岡潔も大したことなし。松田仁兵衛はすれつからし。縣の役人は又皆固陋にしてづるし。
余目ホテルにポツネンしてゐる。
午後四時半余目発、午後五時清川着。国民学校へ行く。社務所に泊る。清川は人口1500也。
発信 母
○一月七日 (月) 吹雪 寒
午前、学校へ行く。十一時から話。
午食後、一時―二時半座談会。
六時清川発、六時半古口着。亀屋へ行って断られる。役場へ行く。校長来る。又亀屋へ行く。渋谷氏とともに泊る。入浴。余目ホテルよりだいぶきたない。
清川は概してよろし。古口は初めから感じ悪し。迎へに出るものもなし。
○一月八日 (火) 曇 寒
朝古口村役場へ行く。十一時から十二時すぎ迄講演。午食後一時から二時すぎ迄座談会。
貨車に乗って新庄へ行く。二時半古口発。車中で教学課長森文一氏と一緒になる。四時新庄着。地方事務所へ行く。井上事務官と会ふ。五時新荘ホテル。四人で夕食。渋谷、森氏六時の汽車で山形へ。井上氏とともに新荘ホテルに泊る。
○一月九日 (水) 曇後雨 冷
十時、新荘ホテルから新荘国民学校へ行く十時半から講演。
午食後座談会。二時半終了。
五時新庄発、五時半眞室川着。安藤旅館へ泊る。井上氏、丹正義氏と共に三人。炬燵あり。
発信 母
○一月十日 (木) 吹雪 寒
朝、眞室川青年学校へ行く。十時半―十一時半、講演。十一時半―十二時半、座談会。聴衆多し。
二時半貨車へ乗る。泉田で一時間半も立往生。大いに寒し。五時新庄着。新庄からは客車。五時半新庄発、六時半羽前向町着。④へ泊る。眞室川の国民学校長来る。吹雪強し。
○一月十一日 (金) 吹雪 寒
午前、東小国国民学校へ行く。十時半―十二時、講演。
午後一時―三時、座談会。をかしな質問者がゐる。
六時半駅へ。七時、瀬見へ。觀松館別館へ泊る。久し振りで温泉に入る。
○一月十二日 (土) 雪 寒
午後五時起床。湯に入る。六時半駅へ。七時半瀬見発、八時新庄着。九時新庄発、十一時十分山形着。山形はおだやか也。
午後、外出。巨人社、日活、遠藤へよる。
九日間の旅行を終れり。随分寒い日に逢ったがよく風邪も引かず歸れたものである。憤慨に堪へぬは片岡潔である。一矢酬いざるべからず。学校で気分の良かったのは清川、不愉快であったのは新庄。質問で最もよかったのは眞室川。
留守中巨人社から原稿料100円届く。
受信 今泉三良、櫻井恒次、布川角左衛門、近野元輔
○一月十三日 (日) 晴 暖
午前、読書等。
午後、外出。遠藤へ寄る。“新小説”その他の古雑法(誌)を買ふ。山新へ寄る。日活へ寄る。“最後の攘夷黨”を見る。
内閣改造成る。安倍能成、文部大臣。之は傑作也。
片岡潔に一矢酬いる。
煙草配給あり。きざみ一袋半、光十本、朝日五本。
公民教育終り。政治問答は良い加減で切り上げて本道の勉強に歸りたい。
発信 片岡潔
○一月十四日 (月) 晴後雨 暖
午前、久し振りで学校へ行く。ストーヴ設備さる。
午後、千歳講習会。哲学。ソクラテスの話。司令官見に来る。かへりに魚を買ふ。鈴木さん来る。
“世界”創刊号着。立派なり。
発信 布川角左衛門
受信 桑木嚴翼、丹正義
○一月十五日 (火) 曇 暖
午前、学校。
午後一時から生物教室で火曜会。平松、花岡、小松、㐂多、白石、村岡の六人。七時終了。
“世界”をよむ。良い論文がある。
○一月十六日 (水) 雪 暖
午前、学校。市民講座の話。
午後、ホルツェルさんを訪う。学校へかへる。
夜、塚本と縄が来る。十時半迄居る。
発信 丹正義、吉田収
○一月十七日 (木) 曇 寒
午前、学校。ノートを作る。
午後一時―二時、会議。校長不在。山高教官概して反動的なり。
大いに寒い。
野坂参三の民主戦線。
受信 竹松宏章
○一月十八日 (金) 晴 寒
朝、遠藤健治郎が来る、十一時、彼が歸って学校へ行く。
午後、千歳講演会。近哉。かへりに大映へ寄る。
小林秀雄著“ドストエフスキイの生活”読了。ドストエフスキイの作品理解に資する所あり。
受信 結城光太郎
○一月十九日 (土) 曇 暖
午前、学校。
午後、遠藤へ行く。本を受取る。山新で土屋氏に会ふ。高陽堂迄行く。
草間来訪。
発信 布川角左衛門、結城光太郎
○一月二十日 (日) 晴 暖
午前十時から赤十字で山形縣文化団体協議会あり。高校代表として出席。二十名程来る。家へかへったら午後二時。懐中時計をこわす。非常に暖く、雪がしきりにとける。街に人出多く、映畫館前は黒山の人出である。
午後から家にゐて、ノートを作り、本をよむ。
祐二郎はよく泣く子である。
○一月二十一日 (月) 晴 暖
午前、学校。
午後、千歳講演会。学校へかへる。
蜂屋に時計修繕をたのむ。
煙草終了せり。
本多謙三著“社会史的思想史(現代)”をよむ。得る所多し。
○一月二十二日 (火) 晴 暖
午前、学校。米兵四名来る。俸給日。
午後、蜂屋で延世の懐中時計にガラスを入れて貰ふ(歸りにすぐ又こわして了へり)。日活へより“愛染かつら(后篇)”をみる。学校へかえる。
入浴。
発信 竹松宏章、田所太郎
山高生がボツ~街へ現れて来た。
北上教授一月二十一日附で免本官。
○一月二十三日 (水) 晴 暖
午前、学校。
午後、蜂屋へ行って時計修繕。旭座で“東京3人男”をみる。面白し。学校へかへる。
大変暖い。道の土が出て来た。
二月からの時間割受領。文科二年三時間宛六時間、理甲二年一時間宛三時間、外九時間也。少くて宜し。木、土の二時間授業無し。今日から階下にねる。母と入れ代り。
○一月二十四日 (木) 曇 暖
午前、学校。
午後一時―三時、会議。
朝、尚彦氏来る。
“Zarathustra”(邦訳)をよむ。漸くニーチェも分ってきた気がする。
○一月二十五日 (金) 曇後雪 寒
午前、学校。又寒くなって来た。
午後、千歳講習会。日活へよる。
橋倉さん来る。電熱器出来。
○一月二十六日 (土) 曇 寒
午前、学校。
午後、尚彦氏とともに日活へ行く。切符の件。“犯罪者は誰か”を見る。見ごたへあり。久し振りで“日本ニュース(2号)”あり。野坂参三歸国等。
フリートリッヒ・ニーチェ著竹山道雄訳“ツァラトストラかく語りき(上)”読了。
尚彦氏午後七時去る。
受信 布川角左衛門
“思想”(十一月・十二月号)着。
○一月二十七日 (日) 曇 寒
午前、哲学のノート作る。
午後、外出。遠藤へよる。西田さんの“論文集第六”を入手する。
留守中に結城等来訪。
○一月二十八日 (月) 晴 寒
午前、学校。
午後、千歳講習会、哲学。日活へよる。学校へかへ る。
一月二十六日日比谷で野坂参三氏歓迎会。聴衆五万人。
留守中伊豆田忠悦氏来訪。
ドストイエフスキイは卒業。ニーチェに移る。ニーチェも亦えらい人間である。
受信 伊藤吉之助
○一月二十九日 (火) 晴 寒
午前、学校。近来では最も寒い。
午後二時―四時、千歳講習会座談会。民主主義について。
“ツァラトストラ(中)”読了。
発信 キネマ旬報社、読書組会
午後十一時和郎来る。おそくまで話する。
○一月三十日 (水) 曇 寒
午前、学校。にしん、数の子、たばこ(みのり一袋)の配給あり。鈴木富生、和田善太郎二氏来校。
午後、和郎とともに街へ行く。日活へよる。和郎と別れる。山新へ寄り、土屋氏に会ふ。学校へかへる。
煙草配給あり。きざみ一袋、きんし30本。
発信 片岡潔
受信 社会教育協会
○一月三十一日 (木) 晴 寒
午前、学校。
午後一時―三時、消費組合の件等。
午後七時和郎出発。
朝凄く寒い。零下九度。