○一月一日(木) 晴 暖
昨夜も大変気持が悪く、サムケがした。咳も出る。不景気な正月である。祐二郎が余と同じような様子である。
午後、ひるね。疲労感大なり。地面にたたきつけられたような感じがする。
夜、“河上肇自叙傳(Ⅲ)”読了。
横手行わ延期する。電報を打つ。
発信 壽松木公
受信 東北大学新聞社

○一月二日(金) 晴 暖
昨夜、発汗。これで直るかと思ったが、やはりよくない。疲労の大きいこと、身体に風邪をすぐ治す力が無いことを意味する。
昨日も今日も38度。気分も悪い。
夜、“死に付いての考察”を書き始める。正月早々縁起でもないが。
発信 村山俊太郎
受信 河出書房

○一月三日(土) 小雪 暖
今日わ風邪もどうやら下り坂のようである。午後四時37度4分。
一日中原稿を書く。能率上る。
受信 寺内清彦

○一月四日(日) 晴 暖
午前“死についての考察”完了。30枚也。
昨夕、38度。今日は割合よろしい。午後7度2分。
紘一郎も発熱。延世も風邪気味。祐二郎わ下り坂。丈夫なのわ陽子だけ。
夜、“精神科学の諸問題”を読み直す。中々時間のかかるものである。
発信 須田宗興

○一月五日(月) 晴 暖
午前、“精神科学の諸問題”のよみなおし終了。この書似後の論文を探したら沢山出てきた。10篇以上になる。7,8篇わ入れることにしよう。
午後、丁度7度。そろそろと慎重に下って行く。併しどうしてこんなに疲れているのだろう。折角の暖かい正月を外にも出られず残念である。
“世代”(1947,10.11)着。拙稿あり。一年以上かかっている。
延世も紘一郎も余りよろしからず。
発信 寺内清彦、民支社、

○一月六日(火) 雪 寒
昨夜、37度8分。曉方から猛烈な咳が出る。甚だ苦し。
午前、延世、濟生館え行って栗を貰って来てくれる。
一日中かかって論文の編集をする。11篇集る。
昭和11年から15年迄。印刷頁で計198頁となる。
“精神科学”と足せば相当の量になる。
薬のせいか、夜になって気分よろし。
年始状がボツボツ来る。
受信 細田欣彦、鳥海正男、駒宮俊太郎、安達隆太、
“哲学評論”の原稿発送。

○一月七日(水) 雪 寒
午前、雑誌等をよむ。
午後、ひるね。今日わ平熱になったようである。咳も余り出ない。
又寒くなって来た。厳寒に入る。
夜、“ヘーゲルの歴史哲学”の原稿を書き始める。
発信 隅田常雄、山崎正一、
受信 隅田常雄、

○一月八日(木) 晴 寒
午前、原稿。
午後、外出。今年初めての外出である。学校方え行く。後、街えゆく。既に正月風景
わ終り。遠藤、大映、共同書籍等えよる。
夜、吉田収がくる。
受信 阿部十博、世代編集部。

○一月九日(金) 晴 暖
午前、原稿。
午後、外出。髙陽堂迄行く。
夕方、もちつき。
夜、原稿。
発信 河内光治
受信 河内光治

○一月十日(土) 晴後曇 暖
午前、原稿。
午後、延世と紘一郎、街え行く。十日市。
森さん八日死去。夕方、今野旅館え御くやみに行く。
陽子、耳下腺炎。
発信 潮流社
受信 須藤克三、堀内喜雄。

○一月十一日(日) 曇 暖
午前、原稿。
午後、外出。大映で“博多どんたく”をみる。
夜“ヘーゲルの歴史哲学”完了。40枚也。解説論文わ書くのが面白くない。
明日から学校が始まる。学校の始まるのも感心しないが、休みも単調で有難くない。
発信 須藤克三、堀内喜雄、石関敬三
受信 梅井順次、神谷秀夫

○一月十二日(月) 晴 暖
午前、学校に行く。余り生徒わ来ていないようである。
“ヘーゲルの歴史哲学”発送。
午後、“日本哲学の貧困”を書き始める。
夜、生徒(社研)来る。
発信 安部知雄、丸山榮
受信 安部知雄、丸山榮、讀賣新聞社、人事興信所、民友社

○一月十三日(火) 晴 寒
午前、学校。文三、フィヒテの博記まで。割合よく出ている。今週わ三年だけとして、一,二年わ来週からとする。
おひる頃教育会館え行く。縣教連。協議会に改組の件。四時終了。
“ドイツ觀念論批判”一月中に出来る。約260頁の予定。
夜、原稿。
受信 佐久間信。

○一月十四日(水) 雨 暖
昨夜、おそくまで原稿を書く。
午前、“日本哲学の貧困”完了。231枚。
午後、外出。原稿発送。
“ヒューマニズムと近代科学”を書き始める。
原稿を書くのもうんざりした。
近頃又停電が始まった。
発信 佐久間信、河内光治

○一月十五日(木) 晴後雪 寒
午前、文三、フィヒテ終り。
午後、仕事え行く。学校え帰る。二時半から教授会。四時終了。
夜、“ヒューマニズムと近代科学”完了。13枚。これで一月末迄に〆切のものわ終り。
発信 母、社教。
受信 山崎広正、社教。

○一月十六日(金) 晴後雪 寒
“科学園”の原稿発送。今年に入ってから100枚以上書いた。一ヶ月かかると思ったのが半月ですんだ。
午前、雑用。
午後三時山形発の汽車で天童え。女学校え行く。丸山氏と共に新庄館え行って湯に入る。女学校えかえって夕食。
七時から“これからの哲学”の話。後、座談会。十時終了。新庄館えかえって泊る。
発信 須藤克三。

○一月十七日(土) 晴 暖
午前八時起床。朝食。入浴。十時新庄館を出る・
十時半のバスで山形えかえる。
午後、ひるね。
夜、“調査書”を書く。愚劣なものである。
やうやく疲労と風邪の域を脱した感がある。まだ咳が出るが。
発信 人事興信所。

○一月十八日(日) 晴 暖
午前、深町さんの所え行く。“調査書”(英語)を書くことを依頼する。
午後、寺内来る。“辯証法と実存哲学”の件。寺内が夜かえってから“序”(3枚)を書く。これでこの書も私の手から離れる。
夜、明日の予習。“実存主義とわ何であるか”を書き始める。
一月わ相当仕事わしたが、気分的には渋滞、面白くなかった。
発信 芳恵書房、讀賣新聞社。
○一月十九日(月) 晴 寒
午前、十時~十一時、婦人文化学院。ベイコンまで。
午後、一時~三時、社研。スターリン“辯証法的唯物論と史的唯物論”の解説。
“調査書”提出。
夜、後藤がくる。後から鈴木氏がきる。
発信 母(陽子の絵)、筑摩書房、週刊教育新聞社。
受信 産別、森三千代、人事興信所
今夜から二階でねる。

○一月二十日(火) 晴 寒
午前、文三、シェリングとシュライエルマッヘル。
午後、一時半、ニッセイ。社教懇話会。四時終了。余り感心した会でわない。かえりに共同書籍えよる。
“実在哲学とは何であるか”完了。13枚。
受信 本多修郎、竹井出版株式会社
発信 堀内喜雄

○一月二十一日(水) 晴 暖
午前、雑用。去年の雑誌を整理する。
午後、外出。“青年文化”の原稿発送。学校え行く。街え行く。産別えよる。散髪。三月頃の暖かさである。
夜、読書。
発信 本多修郎、土屋保男。

○一月二十二日(木) 晴 寒
午前九時のバスで成沢え行く。堀田第一小学校における南村山郡東部班教組の討論会
に出る。午後一時半終了。書食後三時半のバスでかえる。
“ドイツ觀念論”1月19日に終了。この本が先に出るかもしれない。
夜、雑用。
受信 佐久間信、河内光治、須田宗興

○一月二十三日(金) 曇 寒
昨夜、陽子腹痛。盲腸炎かと思って驚いたが、たべすぎのようである。
午前、学校。昨日と交換で、4校時、文三。ヘーゲルに入る。ひる休み、研究室創立委員会。
今日わ疲労感あり。午後、ひるね。
夜、社研3人余る。
発信 村山俊太郎、阿部肇、須藤克三、羽田久一郎、
受信 羽田久一郎、阿部肇、母、
武谷三男著”科学と技術の課題”読了。
いつも金のため追われ追われしている。一安心とゆう所までなりたいものである。

○一月二十四日(土) 曇小雨 寒
午前、学校。理一、世界情勢の話。
午後一時半から組合總会。三時十分終了。事務の分派行動わよくない。
又風邪をぶりかえした傾向がある。
夜、雑誌などをよむ。
発信 佐久間信、中京新聞社。
受信 冬書房、中京新聞社、民科。

○一月二十五日(日) 曇 寒
午前、雑用。北隆館から検印紙来る。つき始める。3,000判をつくのわ大変である。
午後一時半、美松え。民科の会。小松、佐藤、花岡、青島、榎本、土屋、新関。今後毎週日曜会をすることにきめる。五時終了。
夜、雑用。検印。
発信 世界文化社。
受信 世界文化社。

○一月二十六日(月) 曇 寒
午前十時~十一時、婦人文化学院。デカルトのCogito ergo sumまで。
午後一時、社会。続き。三時すぎ終了。
“毎日新聞”に“独逸觀念論批判”の広告が
甘粕氏、山田氏のと共に出ている。B6版2人4頁定価85円也。
風邪がぬけない。
“建民”(一月号)着。余の原稿の出たのわしばらくぶりである。
北隆館から原稿の残部来る。
検印終了。肩が痛くなった。
発信 交通協力会、佐久間信。
受信 交通協力会、世界評論社。

○一月二十七日(火) 晴 寒
午前、学校。文三、ヘーゲル。
検印紙発送。これで余の用事わ終了。
午後、外出。封鎖で税金を収める。縣民税340円、市民税189円、計529円也。
“朝日”にも“ドイツ觀念論”の広告が出る。もう一週間位で本も出るであろう。
仕事が一寸一段落で、少しのんびりする。
夜、花岡さんの所え行って湯に入る。
発信 松村一人、世界評論社。

○一月二十八日(水) 雪 寒
午前、“若い世代について”(6枚)を書く。すぐ中京新聞社え発送。
午後、旭座で“モスクワの音楽娘”をみる。つまらない。
だいぶ寒くなってきた。これから本式の冬になるかも知れない。
夜、雑用。
発信 八木清。
受信 八木清、母。

○一月二十九日(木) 晴 寒
午前、学校。文三、ショーペンハウエルとイギリスの功利主義。文一、話。文二、ヘレニズム時代の哲学。
今日わ恐ろしく寒い。今年で最も寒い日である。
午後、街へ行く。寒河江行の切符を買う。学校えかえる。二時半から教授会。三時すぎ終了。
受信 荻生眞義、森三千代。

○一月三十日(金) 曇 寒
午前六時二十分起床。七時家を出る。七時二十五分山形発寒河江え。縣の鹿野代と一緒になる。勞政事務所で休む。十時十分発のバスで谷地え。十一時から兩羽木工で座談会。この組合わまだ封建制度である。
午後大和ゴムえ。二時から四時少しまで座談会。四時のバスで神町え。五時三分神町発で山形えかえる。
夜、坂口安吾の評論をよむ。
発信 白馬書房。
受信 白馬書房、週刊教育新聞社。

○一月三十一日(土) 晴 寒
午前、学校。理一、坂口安吾論。
午後零時半、学校。文部省視学官との座談会。四時すぎ終了。本田修郎氏学校え来る。街え行く。大映えよる。
この頃腹の具合わよくなった。まだ咳わ出るが、身体に力が出て来た。
夜、雑用。
発信 布川角左衛門、世界評論社。
受信 社教。