小松いさの「美や己日記」について
この日記は小松いさのが鼻の治療のために明治37年11月から東京に2月あまり滞在した日記である。本文は24000字に及び、この間の手紙の発信・受信、支出の記録、読んだ本、東京の知人の住所が記録され、なかなか周到な記録になっている。東京での宿は小石川春日町信松館というところである。通った医院は日本橋区本町一丁目十二番地の菊池耳鼻咽喉科となっている。大体歩いて通ったようである。宿の名前から信州と関係がありそうだが、詳しいことは分からない。
原文はノートに縦書きで50数頁にわたるもので、文章には句読点は全くない。一応旧字旧仮名である。公開するにあたり、読みやすさを考えて適宜句読点を付けた。また濁点は比較的自由で、あったりなかったりする。これは原文のままにした。平仮名が今ほど固定されていない。「し」が「志」になるのは、「志きりに」「志かし」「併志」「志ばし」「志ばらく」など、また「…なかり志」「物語志」「…なり志」などがある。「す」は「須」と「春」の二つの変体仮名が用いられている。「ず」は「須」に濁音をつけている。「は」は「者」の変体仮名と、カタカナの小さい「ハ」、「か」は「可」を使い、「が」は「可」に濁点をつける。
文章の内容は多岐にわたりなかなか興味深いことが多く書かれている。
まず、明治37年の茅野から東京へ行くのは大変なことである。汽車は韮崎までしか来ていない。家から甲州との国境の蔦木まで歩く、これが数時間かかる。そこから韮崎までは馬車である。韮崎から東京まで8時間かかるとある。出るときは父親がついて歩いたようだが途中から一人になるという大変さである。その後12月21日には富士見まで駅ができたので、帰りはも少し待てばいさのも富士見までは汽車で行けた訳である。
東京についても最初しょっちゅう道に迷って困り果てている。これは無理からぬことである。村道しか歩いたことがない人間がいきなり大東京に投げ込まれては大変である。明治も37年になれば路面電車がかなり発達しているのだが、ほとんど宿と医院の往復は歩いているようだ。40分程で歩けたようである。電車に乗ったのは三回しかないようだ。
小松家に養子として入り、いさのと結婚する笹岡武平が当時東京高師の学生であったので、毎日のようにいさのを訪ねてくれている。いさのの武平に対する恋慕の情は非常なものであったことが大変強く書かれている。
両親にたいする感情については父親とは感情的にあまり合わないことを言っている。米治は固いだけで面白くないというところらしい。父米治は幕末の嘉永5年(1852)生れ、いさのは明治15年(1882)生れ、この違いはやはり教育制度の発達が大きく反映しているだろうか。米治のいさのに対する手紙文は大変丁寧である。正式教育を受けた人間には遠慮があったのだろうか。農民としては、働き者で米作や蚕の仕事では有能な人であったし、村のためにいろいろ働いた人で、彼の葬儀は非常に大々的になされている。しかし、娘にしてみると、あまり魅力のある人ではなかったらしい。
一方、母とは非常にいい関係ではあるが、母は字が書けない人であり、娘に対する自分のこまやかな感情を東京にあって苦労している娘に表現する方法がないことをいさのは非常に悲しんでいる。このあたりに明治時代の文化的変化の大きさを感じる。
長野師範女子部にいさのは在籍していたのだが、この学校に対しては期待外れであったらしく、その批判を書いていることはちょっと意外であった。
病気治療ではこの時代麻酔なんかは無いので、手術やガーゼをはがすときなどの痛さには耐えがたいものがあったようだ。体に対する打撃は大きいものがあっただろう。この治療は今の医学ではとても考えられない無茶なことをやっているように見える。しかし、医者に対する批判などはあり得ないことでひたすら耐える以外ないのである。明治の人の強さはこういうところを耐えることからも養成されるのかと感じざるをえない。
しかし、治療の合間に東京見物もできたので、上野や九段の遊就館へいった記述がある。また、貸本屋が来たようで、本を借りて当時流行っていた小説を読みふけり読後感を記しているのは中々貴重であろう。
日記の最初で学校の仕事があってなかなか休めないということがかいてあったが、11月29日校長から手紙が来た。それには病状届が24日で診断書の日付が26日だが診断書の方を24日に訂正して出したとのこと。そして12月1日には第2回病状届を出してくれということが書いてある。
ともかくこの「美や己日記」はいろいろ面白いことが書いてあり、文書館資料として大変大切なものである。
美や己日記 (病床にてつれづれに記す)
十一月二日 水
我年久しく患で苦ある鼻茸の病いよいよ悪しく諸の醫師に治療を受けけれども、時によくも直に悪しくなるあり、或ハ只苦める許りにて少しも其効の表れざるありて父母を始め皆々心配せられ、自分も如何にもして健かの身にならねばと絶えず心を痛め居たり。折からよき序あり共に病を患へる某に悉しくいろいろと聞くに、此病の中々に善からぬものにて人にはあまり分らず、又自分でもそれほどとも思ハず打ち捨て置勝のものなれども、中々にそれより引てハ胸病肺病等起す事少なからぬよし、殊に此病ハ我も経験あれども田舎にてハ中々ニ全快おぼつかなし、一日も早く出京名医ニ付て治療するにしからずとの事に、いよいよ病をおそれ又一人心配にもなれり。されば両親ハ一日も早く出京治療せよとしきりに云ハるれども、公の職業ある身の如何ともせん方なく一日一日と延ばしつゝ居りしをいよいよ此日こそはと思ひ立ちて、前日諸の用意して未明四時に出立する事になれり。されど未だ此日丈ハ学校も休日に非られば病気欠席届を出して、校長には其理由を云ハてもよけれども、あまりさわいで来たくなかりしまま宮坂校長自宅へ当てゝ手紙を出す事に決してかくハ取りはからへり。
前夜更くる迠種々の用意にいそがしく在りし事とて、少しくまぶた合せしたと思ふ程もなく、母の起しくれしに驚きて起き出づれば早や三時。下女いまだ熟睡し前後も知らずが如し。見れば早や朝餉の用意整ひたる。あゝ母上ハ如何に早く起きし、下女の手をも患ハさずにかくかくに用意し給ひしぞ。口にハ云ハねどまづ感謝の情に胸ふさがりつゝ庭に出づれば、昨夜気づかひし空もいつしか晴れ渡りて一点の曇りも無く、星のきらきらと輝ける中に有明の月だけ澄み渡って今日此快晴を示しかほたるもうれし。髪結て顔洗ひ等そこそこに母と共に朝餉たべ母の勝手元に在りてひるのにぎりめし等をととのへらるに、下女がおどろき起出で驚き顔に目許りきょろきょろとして諸方を見まわす様のおかしき。折から聞ゆる鶏鳴一番とりとやらちゃぼが二度鳴きや夜があけると言う事もあり、急がねば夜明けも間近からん等と母の注意おさおさ至らぬ処なし。草鞋(わらじ)もあまり仰々しけれど草履として出づる時は四時、ちゃぼの二度鳴きも聞ゆ。道はよし月あり足の運びもいよ早く、父と二人にて別に語るもあらず一向に進めり。玉川村より山路を取るニ久保寺にハ早や起きたる家もあり、秋なれば早く起きてはたらくならんか、金澤迠来りしに早や東のそら白みそめ、夜のとばりハ引きあけられんとす。此道鉄道工事の最中とて工夫多く往来しいと物さわがしく覚えたり。かかる処ハ女子一人×(×印は判読できなかった文字、以下同様)しハ通るべき處ならぬ事とぞ思ひしれたり。落合学校の前まで来るハ八時半、生徒の登校する多く男の子ハ彼の××とやら言ふものはける多く、女の子もいと素朴にて殊ニ己れ等の行を見て如何にも物めづらしげに見送れるもおかし。
しばらく行く内に生徒数列をなして来るあり。其端に岩本校長先生も来らる、次に斉藤先生とやら云ハる今年師卆の方来らる、次に吉田先生来らる、皆々御目にかかれり。九時十分と云ふに梟木に着。馬車屋に至り見るに客一人もなく、戦争の××のと農事繁忙とにて此如しと、茲にてたづさへ来るにぎりめし等食し居る内に二人許りの客来りて、やうやく発す。道すければ車の走りもいと早し。少し行きし處にて×野にて折々見る人他の人と二人にて行くあり。此れ等の人も乗る。にら崎着一時四十五分。いとどゆるゆるにてよろしかりき。停車場にて暫く待つ其間に宮川村の人来る。名ハ知らねどもよく時々御目にかゝる人なりき。旅道づれとやら僅かなれども国境を出づれば旅××ばいとヾ心にぎわしき心地にて二時三十五分発車す。此れよりは東京まで約八時間。あゝ此間を如何にして過ぐすへきか、いとゝつれづれの事ならんと停車場殊に人来たり人去れども、我らに何の用もなし。新聞にやうやくつれづれを慰めたり。八王子に辨当を取る冷かなる云ふばかりなり、されど己れつた木にて少し許り食せし後何も取らぬ事とて空腹なるおびただしく、此冷かなる食事の××甘かりき。夜ハいよいよ更け渡り、人も少なくなりてさびしさ云ハん方なく心身ともにつかれ果て、今ははや一刻も早く東京とのみいのれり。名も忘れしが八王子の少し前の停車場より乗り込みし多くの遊猟者らしき人、肩にハ銃を持ち手にハ各々五つ六つの獲物をひっさげて今や都への帰るならん。皆々今日の猟の様等いと楽げに語れる内に此日いこひし宿の小言に及び口々に高き易さひるの何ハ悪し等云ひあへるいと楽×見えたり。あゝ此等の人も都にては皆々いかめしき肩書つきたる人々ならんものを。
いよいよ信濃町ニハ着きたり。茲まで来りてハや乗客も少なくいとヾさみしく、特に女子は己れ一人、いとヾ心も心ならず。もしや御出迎でもなからましかば等いろいろと思ひつヽ玆ハ下車后存外多く共に段を上り見しに上の最目立べき處にうれしや待たれ給り。うれしさに何も言ひ得ず、只二言三言御物語りして二人にて×なりて青山練兵所に近きとある宿屋に着きてやとりぬ。語らんとして語り得ず、只々うれしさに胸おどれる許りなりき。
十一月三日 木
此宿に宿れる人に皆観兵式物観をあてこみの人のみなれども、中々に早くよりさわぎてねむりもやられず、未明に支度して出で立つ。夜のとばり未だ全く開きつくされずして東の紅さして一天曇り無。今日の盛大なる式を祝せるが如し。千歳一遇の此天長節、我幸に物観の栄を得る。げによろこばしきの限りといふべし。未だ人も多く出です、女学生の美しく装ひけるが三々五々隊をなして勇ましく来るあり。折から人ハますます増してたちまちにして人の山をなし、憲兵の乗馬にて制するも聞かざる許りなりき。折りから時間も迫り来たる事とて向ふの方よりハ近衛兵のくり出すあり。后の方よりは歩兵騎兵砲兵等隊伍みたさずくり出す様、けに勇ましと男らしとも云方なくかゝる兵士のあればこそ此の度の如き世界に国威を発揚すべき戦勝をも得るなれ。此兵士こそげに国の守りと只々感極まりて筆もまいらずなりぬ、殊に馬の熟練せるおとろく許りなりき。式終りて昨夜の宿に至りて昼を食し夕方まで過し居り。午後五時過ぐる頃茲を出で、信濃町より電車にて牛込まで来り宿所につく。此日ハ市中の電車に皆美しう装ひして、殊にイルミネーションを点じたる、中々に想像以外の美観なりき。
十一月四日 金
早朝に日本橋の醫家に伴ハれて診察をうく。けに専門醫の事とて一寸見たる許りにて中々によく病を明らかにしたるおとろく許りなり。己れ病へ前に思ひ居りしよりも多くの病ありて今更におどろき、けに悪しき處あらば専門醫につくべきものなるを知れり。此日午後早速手術をすべく云ハれしまゝ午後又出ずる事に決して帰宅せり。それより〇〇は学校へ行かれ午後又来るとの事なりしかば己れ御手紙等かきてそれをまつ。三時過ぐる頃来られしがいろいろの都合ありて此日ハのはす事にして行かずおきぬ帰校し給ふ、いとさみし。
十一月五日 土
未明に起きて醫家に行く。薬をつけられ今夕手術すべければ来るべし云ハる。帰りて髪を結ひ等してさみしきまゝ来り給ふをのみ待ちたり。午後一頃来り給ふ。いろいろの御話して三時過ぎる頃又帰校せらる。夕飯後ハ湯に入り等して来り給ふをまつ。中々に来られず六時頃やうやく来り給ひ、共に醫家に行く。七時過ぐる頃やうやく手術せらる。切る時にあまり痛まさりしが後か中々に心地悪しくしばらく伏し居り、血の止まるをまちて帰る。此間絶えず情あつき御看護、けに身にしみてうれしかりき。十一時過ぐる頃茲を出づ。帰宿十二時。
十一月六日 日
一人にてやうやくにして醫家まで行く。帰りしにはや十一時過ぎなりき。昼終りて湯に入り等して居る間に午後二時頃来り給ふ。宿所ニ付て諸方心配し給ひてそれを語りき。午後五時過ぐる頃帰り給ふ。明日ハ他の宿に行くべく語りき。
十一月七日
早朝に起き出で一人行く。帰って手紙等書き、午後つれづれのあまり九段へ行く。丁度此日祭りにて中々の人出なりき。女学生の美しく装せるあり、又ハ男女共に手をにぎりて群衆の中を物ともせずに行くあり。一人の女学生の後に壱人の男学生のつきまとへる等物めづらしき事多かりき。遊就館に入り見る。今回の戦争のものも数々ありき。仁川沖に始めて用ひしタンカ×の血そめりしもの、旅順閉塞に用ひし穴だらけのボート、其他血にそみし軍服等ありき。茲を出でて帰りしに早や夕飯なりしかば、それをすまして茲の拂をすまして出づ。小石川に行きて宿に迷へる事おびただしく、やうやくにして行けり。行き見れば来り居給へり。我為めに諸方の宿尋ねてつかれ給ひしとて、いと御顔の色も悪しかりき。××物語して七時過ぐる頃帰り給り。何やら此夜ハさみしく涙のみ×せはれでろくろくいねもやらずあかぬ。
十一月八日 火
七時四十五分頃出で醫家に行く故にこれしまゝ電車につきて眼鏡橋まで出づれハよかりしも、それ×××電車分りかね多くの交番の御厄介になりてやうやくにして行きぬ。帰りハいよいよあやしき處にふみ迷ひ車にのりて帰る。心身ともに疲れ果て衣のすそ××は線×で目もあてられず、午後三時頃来り給ふ。今日の事は物語りせしに如何に愚なればとて、その様なる迷ひ方想像だに及はじとて笑ひ給ふ。何かも明らかなる人ハ如何におかしからめ。いよいよあすはガーゼを抜くるとて、もしや帰りにおそくならば電話にて呼べと云ひ置きて帰らる。
十一月九日 水
此日ガーゼ抜く故午後来るべく云われし故、午後より支度して出づ。あまりおそくならぬ様ニ急ぎ早く行けり。三時前後到着、しばらく待ちて後手術をうく。切る時より却て痛かりき。二時間許り休み居たり。はや日がくれ帰りの事が心にかかりて気も落ちつかず。電話にて呼ばんかとも思ひしが、御勉強中おじゃまなればやめて一人にて帰る。道は迷はさりしかお茶の水の森の後やヽ気味悪しかりき。帰りても少々出血しありしまヽ直に伏せり。
十一月十日 木
昨夜抜きたる後痛みて気分悪しかりしまゝおそく行きしに、代診にて薬つけてくれたり。帰りてハ下より借りたる太陽を読む。鼻あきて心よきこと云方なし。
十一月十一日
朝醫家に行き、帰りてハ只休みて居りたり。午後二時半頃来り給ふ。小包来りしとて持ち来り給ふ。重きものをげに物体なし、いろいろと御物語して夜ハ早くねたり。
十一月十二日 土
午後に早く来り給ひ、此日為替来る。当日ハ諸方へ出ず、手紙等書き等す
十一月十三日 日
朝為替取りに行き帰りがけに少々買物に行きて帰る。午後早く来り給へり。夜ハ買ひて置き給ひし戦時画報等よみて伏したり。
十一月十四日 月
去る土曜に手術すみかりしも身体の工合あしかりしまゝやめて、火曜と××事とて昨日ハ一日為す事もなく過ぐしたり。今日一日とじ込め居るもあまりつれづれのわざにて却って病のためにも悪しからんと思はれしまゝ、此日ハ朝××て天気もよきまゝ上野に遊べり。何處やら更に知らねども上野行と記せる電車に添ひて行けり。あやまたづ行得たり。上野の山にのぼりて見下せば、不忍池中はすのかれたる立ちていと物さ×する極たり。尚深くわけ入れず紅葉よきほどに色づきて中々にすてがたき様ありき。諸方見まわりて後、白馬会有名なれば見んとて行きしに、昨日にて場ハ閉じられしとの事、げに力落ちしがせん方なく、美術品陳列所に入り見る。絵画彫刻多くありて中々によかりしが、あまり目を引く×も見当らざりしハ、げに物足らぬ心地せり。出でてあちこちそヾろ歩きせる内に、人も追々出で来りて中々ににぎわしくなれり。陳列所内にても後より見て来れる学生二人場を出でても尚我後をつき来る如し、いと気味悪しくもあり、亦彼青春の身を以てうかうかと此貴重の日を過ぐすかと思へバ、げにげに気の毒に絶えぬ感せられたり。歩を轉じ動物園を見んとかと思ひしが心身やゝつかれし心地せしかば次として此日ハ帰途につけり。帰りがけに不忍池にしばらくながめ等して、ふと見れば右方に商品陳列所あり。ふと入りたき心地して歩を向けたり。入り見れば中々に沢山かざり立てゝ客の目を引かんとつとむる××××。一寸足を止むれば、早や我そばに来りて何が×と云ふうるさし。少々買物して帰る、十一時なりき。午後は前よりの日記を書き直し等して後、風いと吹きあれ宿の障子の破れ目よりハ煤煙吹き入り、すさまじさ云はん方なし。あまりつれづれなりければ一寸身づくろいして直上の貸本屋に行き何か借りて見んと行きしに、丁度濱子ありければ借りて来て読む。此帰るさ高師のしるしつけたる人の多く来られ、あハや逢ハんとする處なりしもあはず過ぎたり。それより夜にかけて読み続けり。げにげにあはれなる濱子の上、彼れの恋人の上、亦ハ忠実のウバが上、げにげに如何に同情の涙にむせばれしか、あゝ不幸なる濱子よ、情のあつき松波よ、あゝ世ハ皆かくあるものか、松波ハげに我理想なるよ。気の毒なるハ小町田子爵なり。悪むべきはまゝ母と小菅静馬なる哉。世にかくれて出でざる濱子の生みの母の心中や如何に。濱子の夫輝雄の夫として無責任に見識なく、かゝる人に一生を托したる濱子ハけにもけにも不幸なる哉。少年美術家銀林は同情のよせらるべき人なり。小山田ハやゝ頼母しき面白き人なり。松波が大学卒業後の一夜ノ物語。××由比ヶ浜辺に二人昔の夢に泣きし。あゝ其時の如何なりしぞ。慈愛厚き母とうばと×としたべる松波とに看護せられて世を辞さん濱子、何のうらみぞあらんや。にごりいつわり多き此世を如何に永かりしならんか、只うらむ生の母の枕辺のあるを得ざりしを。
十一月十五日 火
いつも早くとハ思へども後れがちなれば、此日こそと思ひ起き出で見れば、同じく後れて早や七時近くにぞなりける。用意もそこそこに七時四十分といふに宿出で立つ道もいそぎいそぎし事とて、四十分許りにて日本橋にハ着きたりける。同じく代診少々具合が悪るうございましたからと言しに××したが見えないと云ひましての世辞云われしもおかしかりき。終りて帰途雨降り出で、道少しあるき悪くなりぬ。東京の雨ハ細かきとか、げに苦しみの少なき雨よ、さはれ横より来るに困じ入りぬ。貸本屋に返し金色夜叉の前編を借り来る。衣も変えざる内に早や読み度きに絶えず。されどまづ雨にぬれし衣変え、又下へ昨日の洋傘修繕費足袋洗代等拂ひぬ。又油を買ひ××らひ後それを記入していよいよ読み始めぬ。十一時五十分頃読み終わりぬ。富に眼くらみし宮の心事悪むべき哉。貫一が身の上げに同情の涙に絶えず。宮の両親もあまり見識無かりしよ、富山が如きハげに己れハオートをもよふさん許り。かヽる人間こそげに家庭も何も眼中にハ無く、やがてハ宮の身の上もあやしき哉。宮と貫一と最後の一夜、あゝげに悲惨と云ハんか、只涙にて読みぬ。其時の宮を説く貫一の言、宮の心の少しも動かざるハ、あゝ如何に富にくらみしとてあまり情なし、貫一こそ我理想の夫なるよ。宮の心ぞげにあやしき限りなれ。天地に得難き此夫、最上の×を生むべき此情あつき夫と慈愛深き×とをすてて××をもすてて何××富山等に行かんとするぞ。
午後髪結ひ化粧等して日の暮ること一向にまてり。冬の日あしのいと短く、たちまちにして夕餉の膳は運ばれぬ。さあれ今度の手術の事思へば、身がぞくぞくして食事も甘からず。如何にして我ハかくハ心弱きか。五時十五分との仰せに一分一分と数へつゝおりしに、一分少し過し頃下の女中の「あなたのだんなさんが下にお醫者さんへ行くからとて待って居られますよ」と。うれしくいそぎ打ち出て出立つ。御足の早きハいつもながら困り果てぬ。醫家着六時に五分前、人×あり七時少し前に手術終る。九時迠玆に在りて帰宅せり。切る時は痛からざりしも後にていとど心地悪しう覚えたり。宿へ着十時、就床十時半。今迠一人ねる夜のさみしさにねむりもやらず夜を明すの事多かりしが、此夜にてはいと心安く眠りぬ。
十一月十六日 水
此日授業ありて御忙しき事とて早く起しまゐらせて、六時四十分と云ふに出で給ふ。己れも此日ハ一日臥し居るなれどもせめてハ朝の食事をすましてハと起き出でたり。三人来る ナットー賣りの一人来りしのみ昨夜帰りがけにや、入りたる×に入れず、ナベヤキウドン等云ひて少さまやたいの如きものに僅の火をおこし小さき鍋に何やらんにて居る。あヽ彼等ハ何を以て×みとし何を以て世にあるとや思へるやらんか、さあれ彼等も喜々として笑ひ語らへるを人の幸ハ富にハあらじかしと×を×らせられぬ。昨夜好める鉛筆買て来りて賜る。今更ならねど我君の情にあつき××あゝ我ハ此世にあり得へき限り最上の幸福を受けてある身ぞ。
朝の食事すまして又いねむり、少しまどろむ間もなくいとヾ隣りのさわがしく人の多数、人集まりて語らへる様聞ゆ。何事ならんさわがしき事よと思ひ居る間もあらず、一人の××の筋入りし軍帽かぶりし一人の軍人我×の戸を×けおどろきてしめ行きぬ。誤りしならんがなめげなるわざよと思ハれぬ。それより暫く何やら語らひさわぎて、午前十一時ともおぼしき頃皆出て行きぬ。晝の食事すみて又いねぬ。まだ少々血の出る事とて三時半頃までうつらうつらとねむりてハさめ、さめてはねむりしておりぬ。中島喜久平さんと語らへる等おかしきゆめ見て、それより起き出で見るに、はや血ハ出ですなりぬ。あまりいねつでけゐても又夜のねむれずして苦しからんと思ひしまゝ起きてありぬ。今朝貸本を返し、又他のものを借りるべく頼みしもまだ本来らず。人たのみハげに意のまゝならぬものなるよ。晝頃より風いとヾ吹き出でし煤烟室中に入りていとヾ寒気冷涼気なる故山をしのばれぬ。夕方突然 ×一さん處見舞に行折とて御寄下されて思ひかけなくもあり、又今日ハ気分悪しくさみしくいとうら悲しくて居りしも折からとて、其うれしさ何と云ひ様ハなかりき。五時過ぐる頃迠居給ひて帰られる。夕飯をすまし少々形づけ等していねぬ。
十一月十七日 木
八時過ぐる頃起きいで支度もそこそこに出で立つ。今日とり分けても気分悪しき、寒ささへいやましにつのりていとヾ支度も後れがちにて、此日ハ院長様御在宅、ゆるゆる診察せられたり。帰りて休み居り、午後貸本屋に行き書物を借り来りて読む。午後三時頃終りたり。夕飯すまして此れを返し、尚湯に行きたり。夜ハ手紙を書き等していねぬ。やゝしばしまどろむ間もあらせず下の女中の御手紙を出し××小××××よりの注文新しく読みぬ。すきもる風寒く身にしみてさみしき床に一人、あゝ苦しき事よ。
十一月十八日 金
八時頃出宅、醫家に行く。ガーゼを抜きたり。此前よりハ痛まず大に容易なりき。帰り休み晝食後ハタジバンの洗濯を手づからなし後ハ身じまいしそここゝを形づけ等して時の過るを待つ。落梅集等よみて折から人のけはひして入り来るハ宿の女将、貸本屋より本来りしとて持ち来りくれしなりそれよむ。げに恋の力ハ強きものなるよ、あゝ貫一、かれハ如何にあはれなるものになりけるよ、少しよみ居る内に来り給ふ。クリスマスカロルを持ち来りて貸してくれ給へり、又英語の本持ち来りて中の話をきかせ下されたり。凡そ一時間半許り、げにうれしかりき、五時頃帰り給ふ。夕飯終りて金色夜叉を読み終りたり。後にあすの買物等用意して後日記をつけ等して伏したり。
十一月十九日 土
今日ハ診断書を貰ハねばならぬ事とていつもより少し早く起き出でて行く。いとヾ此地も此頃ハ寒ければ、行く人皆烟を吹きて鼻は×××りき。折よく院長在宅にて診察をうけ、診断書をもらひ帰れり。それより手紙を書き、午後湯に入りて後ハ郡役所へ出すべき欠席届を書く。此日金色夜叉の後編返し夫妻波を持ち来る未だ見ず。クリスマスカロル中々に面白し。夕飯後やゝおそく来り給へり。今朝醫の今夜にても手術出来ると云ハれしを申上げしに、それでハ行かんと云ひ給し。玆まで来られし御足の休らひもせぬとあまり×ろしとハ思ひつゝも出で立つ。醫家に着七時。七時半手術あり。此前より鼻茸多かりしとかにて大に痛み著しかりき。十時過る頃玆を出でしづかに帰る。帰りて郡役所への届等書き下されたり。此夜出す月曜の朝ハ着せんか。
十一月二十日 日
今日ハ醫者に行く事もあらねばゆるゆると起き出で、××事とも××へて朝飯後少し読書し、午前十一時頃帰り給へり。女夫波をよむ×文貸本屋来りしかば後編をよむ。クリスマスカロルも読む。今日ハ此前の手術の次の日のより大に具合よし。
十一月二十一日 月
昨夜ハ更くるまで読書したり(何やらこわきまゝ永く眠らであらんと)し事とて何となく床をはなれ難く、七時近くまでいねむりぬ。髪結ひ顔洗ひに行きしに丁度下の幼なき女の子と一所、此子わけて何處が可愛きと申す處ハあらねとも、とことなく愛々しくいつも我顔見てハにこにことげに小供ハ罪のなきものよ。母の語る朝四時頃目をさまして早く顔洗ハんとせがむよし、何より朝顔洗ふ事第一好きとか。又母親のやうじ使ふを見て己是非使ハせよと××すと、今朝は我使ふ處を目も放さず見入り居る。げに可愛きものなるよ、人の子にしてかくの如し、もし我子なりせば如何ばかりぞとそぞろにおもほして、用意して醫家へと行く。小石川から本郷へ出づる處にて、はからずも依田みち子嬢に逢へり。嬢ハ学校行きかけとの事、何故にや我顔を見てひた走りに走る。あやしと思ひて急ぎ足に行き見るに、我目の前に志賀先生と依田氏と笑ひて我を迎えくれしげにうれしかりき。一寸御話して志賀先生には直に来×と言ひて行き給ふ後二人にて一×許リの面××もこもごも至りつきせぬもの語りに、早や高等師範の門までハ来りぬ。又逢ハん事を約して分れぬ。それより醫家へ行き、帰りに少々買物す。糸を買ふにつき二度も失敗、あゝ田舎ものなるよとそヾろにおかしとて、帰りて衣のすそ直し等し、午後自宅へ出す手紙書き等す、あまりにいろいろとせし故にやゝ逆上の気味なりし故、頭を冷やしつゝ暫く臥す。夕飯後(さみしき夕飯、今朝ハ一度も御顔を見ねば)日誌でもつけていねんと五六行書きし頃からかう子戸の開く音す。今日ハ多分御出ハあるまじと思ひしも、もしやと×やゝおとり自ら耳そば立てられぬ。折から足音、まがう方なき我君、うれしとも、我を忘れて思ふ事つヾけざまに語る後にて気がつけば、あゝ如何にはした無しとおぼし給ひしならん。種々は物語らず、疲れしとていとヾ御顔色も勝れ給ず。学校ハ殺風景にていやと仰せらる。げにげに我在寄宿舎時代の事を思ひ合せて、ほとほと御同情の涙にむせびぬ。御目にかかり居る間ハげに楽園に××心地して、七時といふに行き給ふ。夕飯時のさみしさ今はいづ地へか消えていと心地よし。明日も亦来給ふとの御言のふ。あゝ早く共に××××日の来らん事をいのりつゝ床の中にて読書し伏す。
十一月二十二日 火
今日も何やら気分悪しく、床より出でがたく七時近くに起き出でたり。支度して醫家に行く。ノド悪しき老人一人あり。帰りハ今日ガーゼを抜きし事とて痛み、且出血多きまゝしばらく休み、午後も少し休み居り後、髪結ひ身じまひ等して金色夜叉を読み終る。あゝそれに付いてハ感極まりて一言の評も感も筆にする能ハず後、クリスマスカロルを読み終る。愉快にして有益の読物なりき。やうやく日ハ山の裾に入りそめ、まちにまつ我君の来りまさん時近づきぬ。
夕飯後来られ、明日ハ休みなれハ少しはおそくもよしとて九時までゐ給ふ。御帰りありて少々読書し伏す。
十一月二十三日 水
朝例の通り醫家へ行き帰りて衣服の形付等し、午後は今日休み有れば早く来り給はんとまつ。下の女中のかみさんにひどく使ハるゝを見る。いつもながら気の毒の情に絶えず。一時半頃来給ふ。此日ハいろいろと御話してうれしかりき事、御帰りと共に今夜のさみしさをあかさんと為め貸本屋へ行く。よきものあり。魔風恋風をかり来り読む。
十一月二十四日 木
いつもの如く醫家へ行く。今日ハ道を変へて高師裏門前の道路を取る。少しも誤らずよく分りたり。帰って少し読書し、午後は食後しばらく仕度して北原定吉先生を訪問すべく出立す。前によくよく聞き起き置きし通り神楽坂を上り心当りを聞けど、更らに分らず。困り果て此まゝ引返さんと思ひしが、わざわざ来りしものをとそここゝを問ひしに、何處にても知らぬとの事、いよいよ帰らんと思ひ居る折から其處にゐ合せたる一人の小僧、北原と云ふ家一軒あり、きっとあそこならん、外にハそんな名ハなければ教へ上げんとし、共に立ち行き見しに、果してそれなりき。中々に分り難き道にておどろきぬ。外よりおとなへば下女出で来り、共に一人の女のお子、あゝ此れ必ずあきの先生の御子ならんと。其大きくなれりにおどろきつゝまつほどに、一間に案内せられぬ。しばらくして出て来り給ふあきの先生いつも御変りなく、如何にもうれしげに迎へくれ給へり。御目にかゝりてハつもる御話に何もかも忘れて只御×見て、しばらくして志づ枝さん帰り来られたり。昨年の春の事よく覚え居たり、志づ枝さんハさして変りしとも思ハざりしも、ゆき枝さんの大きくなられし誠におどろきぬ。しばらくして定吉先生御帰りありたり。三人にていろいろと御話し其間にハ小供の愛らしき話等思ぬ間に夕飯とゝのへられ、共に×く頂き帰りたり。帰りに小石川の何處とかへ用ありとてご夫婦にて交番の處まで送り下されたり。帰りハ何やら寒くつかれし心地して日記等つけて床に伏しぬ。
十一月二十五日 金
朝より曇りて寒つよし。いつもの様に醫家へ行き、帰りに宿のおばさん、依田といふ人来られ午後三時に来るからと言ひ置きて行き書物を置き行きしよし、己れ出宿間もなく来られしとの事、おしき事しけりと思ひしもせん方なし。己が室に来り見れバ、病中のつれづれをなぐさめんとの友のあつき心表れて、いろいろの書沢山ありてうれしかりき。寒き處を帰り来りし事とて火鉢のそばへ座したるに、早や立たん勇気も出でざりき。
読書し午後御ヅボン下裁たんと出してみしが、もしや今夜切れず又湯に入る事出来ねばと思ひ付き湯に行きぬ。帰りて少々身じまい等して夕飯終り、しばらくする間に来り給へり。 早速醫家へ行き七時半頃手術をうく。十時頃玆を出で帰宅し伏す。
十一月二十六日 土
昨日手術をうけしとて、あまり今日ハ気分あしからぬにて御ヅボン下出し裁つ。十二時少し過ぐる頃依田嬢来りしに、いろいろと御話し居る間に小松久夫様とつれて御立寄り下され、四時過ぎ頃までいろいろの御話して久夫様ハ帰られたり。それより何とハなしにうれしき御話して六時少し前に帰り給へり。それよりいねんとしてねむりも出来ず御ズボン下を仕上後いねたり。
十一月二十七日 日
此日ハ早朝依田さん来てくれて二人にて醫家へ行き、後三井呉服店に入りて見、それより日々谷の公園に行き〇時半頃帰宿。共に食事をすましてしばらく遊びける内に来られ、四時少し前まで三人にていろいろと御物語して依田さんハ帰られたり。ヅボン下はきて見等して六時に帰られたり。それより魔風恋風等よみて伏したり。
十一月廿八日
例の様に醫家へ行き、帰りて火の柱をよむ。中々に面白し。ヤソ信者ならば一層おもしろからんと思ハる。午後食後散歩がてら本郷一丁目の郵便局へ為替取りに行き、帰って一寸手紙等かき又読書等して居りしに、依田みち子嬢今夜志賀先生方へ行くがさそひくれしまゝ其用意してまつ。夕飯前に今日久夫さんに御×みせざりしまゝとて来る。御多忙なるにと思へばいとヾ××しての感を強くしぬ。しかし一日御目にかからねばさみしく心も沈みはてゝ自ら不思議の有様なり。療治のためにても何にても一日でも多く御目にかかり御そばに居らるゝに此上なき幸を只々思ひて、五時頃御帰りあり。しばらくして依田氏来られ、共に打ちつれて行く。道にて一寸土産物求め等して、行き見ればあいにく先生は御留守なりしが、いつも御変りなき奥様と大きく見違へし御子様だちの中々おもしろく遊び又御物語等して、七時少し過に茲を出で帰れり。宿へ着ハ八時少し前、それより少々読書して伏したり。
十一月廿九日
心無しに求めて有毒紫鉛筆先頃二ツに割れしが、やうやくにして今日迄用ひ居たりしが今宵少しけづらんと思ひしに、折れ折れして遂に一本全くけづりつくして用ゆべからざるに至りぬ。却って有毒のものと思へば無かる方心易かるべし。今よりハ頂きし鉛筆(国へ帰りし後用ひんとのみ思ひしか)を用ゆる事となりぬ。
今日はガーゼを抜くとの事なりしかば少し早くと思ひしが、それともならず、いつもの頃出宅。大いそぎにて行きぬ。道々種々様の人に逢ふ。けに東京は人の集合地等差の最はなはだしき處とてかくに異なるか、かかる處に在ればげにげに生存競争と云へる文字の用途多々ありといふべし。田舎にありてハ徒らに空文字の如き感のせらるれど。醫家に行く人近来めづらしき許り在り。尚己れと同じ頃来る人あり。少し後れて来るあり。中々×××と云ふべし。先の夜己れと共に手術せし人青き青き顔して来るあり。此の人のガーゼを一寸抜きしに非常の出血にて気分おかしきよしなりしかば萬一を気遣ひ己れののは用意までせしをやめとハして帰されぬ(己れハ大丈夫なるに)。帰りては本郷表にまいりて御ヅボン下に用ゆべきテップを買ひ、それより帰る。宿に帰りしに、本来りありとて出されしハ先日の御話のスケッチブック、二冊のみなりき。ホトトギスは如何にせしか、それより前の読みつヾけの火の柱を読み終る。
名小説を読みし後とてあまり面白くとも何とも思さしりが、只世の中と云ふものゝ如何に複雑にして又仇の多きもの、一寸も油断のならぬもの、一の好(よき 注 ルビがあった)事あれば必ず四面より敵来るもの等、只おそろしきものとの感を強くしぬ。己れも僅かにして社会に出つべき身の今迠あまり小供にて親の元に我儘許り云て居りしものの如何にして渡り得べきがけにけに思へば重き荷を負る心地して、併し併し只誠の一字を以て貫かば何れの日か成功せざる事ハなかるべしと只思へるのみ。
午後ハスケッチブックを読む。二時頃少しうみしまゝ急に思ひついて久しく音つれせざりし四郎の君へと文かき始めぬ。終りし處へ我君の来られたり。今日ハ曇りし故か気分悪しく手紙ども終らば休まんか等思ひて居りし折から、御顔を拝して初めて心はれぬ。少しは物語したり××氏への手紙見×ハ中に早く帰国したきの語あり。諏訪等一般人知るゝものと(それほどならずとも)と書しきもの心ひそかに省みれば×××をうるほすものであり、我ハ何時よりかかかる事を覚えしか、外交政略としてハ幾分か必要なれども、露国等の様にてハ誠におそるべきものなり。併し日本の或時の如くにてハ実に物足らぬ心地す。されどされど女子として教育者としてハ充分注意して、道徳的に清く楽しくおもしろく平和に世に處せざるべからざるものと信ず。あゝ欠点多く時としてハ何處までも己が主張を貫かんとしてハ人と論じ人の感情を害す如き、即ち血気にはやり前後を考えず如きくせある身の充分修養せざるべからずといよいよ感じぬ。五時頃御帰りあり、夕飯すまし一寸手紙を書きあげ等して後は読書し伏す。
十一月卅日
今日にて十一月も終りを告ぐざるや、あゝ卅一日にして新たなる年を迎ふなるやさながらゆめの如し。今朝はガーゼを抜き貰はんといつもより早く起き、午前少し前に醫家へハ着きぬ。未だ診察始まらぬ如し。しばらくして己れ診察をうけガーゼを抜きたり。痛さ甚だし、歯の抜引き出さるゝが如くみしみしとていやな心地云ハん方なし。十時迠在りて帰れり。帰って少々読書し、午後ハあまり気分悪しきまゝ髪でも結び直さば少しハ気も晴々することならんと、髪結びよそほひ等して居る間に早や二時とハなりぬ。それより少々読書す。先頃より少々づゝ雨降り出し道も悪しうなりしならん。天気ならば一寸御寄りできるとの御話なりしが、こんな天気にてハ如何なるや、それでもあまり降ると云ふもあらねばと心中には八分迠ハ今日御目にかかれる如き心地して居る内三時十分十五分二十分、昨日ハ早やお出になりし頃なりしが、今日は高田病院御見舞いと申されしおそきはことはりなり等とやかう思ひめぐらしつゝ、それでも空の様相ハ如何なると戸押しあけ見れば、大つぶの雨降り出し、あゝ情なの雨や等思ひてスケッチブック×しつつ読む間にハ九分迠ハ我思へるが如く来り給へり。此間迠ハさして御変りも無暑中御別れ申してより、見違へん許りに御顔の色もよく入らせられて胸おどる許りうれしかりしを御勉強の故ならん昨日と今日は少し御顔の色勝れ給はぬ心地しぬ、直の一寸なれども直に我目にハうつりて何となく心安からず。されど暑中頃よりハはるかにすぐれ給へり。此度の療治により我身の丈夫にハ我ながらおどろき居る處なり、此れほどとは思ハざりしに気好く手術等にハ第一に神経を痛ましむる最弱き者とのみ思ひ居りしにげにげにうれし。
御帰りありて夕餉食し後、父より手紙来る。我従妹の暑中嫁したる母君死去せられしと。あゝ我従妹も中々に苦労多き身成多くの義弟妹を引うけて、及米澤村新入兵の名四名知らせくる。又田村徳衛ノダルニー上陸との事をも。今宵ハ中々に寒し。スケッチブックと下にて貸してくれし小説そここゝとよみて休む。
十二月一日
昨夜ハ何故にや夜更くるまでまぶた合ハず、何かやと考へてのみあり。ねむり付ても何やら時々目さめて、いと苦しき夜なりき。今頃ハ朝大概七時起居りしが、昨朝六時に起きしに大に心地よかしまゝ出れり。いつも六時と定めんと思ひしが、折あしく目さめてハ五時十五分。今少しとなつかしき君の御衣の袴かき合せしまゝ。目をさまして見れば早や七時、砲兵工しょうの笛しきりにひヾき居りて、心に六時を定めしちかひも水の泡と消えうせぬ。心中頗る不平なりしも、早やせん方なし。自ら招きし事、それで誰をうらみて様なし。いそぎ仕度して出で立つ。診療を終へて帰り途に(今日ハ早く帰りても一日御出ハなし。宿に居る時間の成るべく短かからしめんとて)高等師範学校の附属教育博物館に入り見る。手工科参考品尋常科初年度参考品多くありたり。ゆるゆる見て帰宅十一時半。休み居る間に晝の膳ははこばれぬ。今日は寒ければにやいつも晝にはつめたきねばり気もなきいやな御飯なるに、今日ハ暖かにてよかりき。晝をすまして高木氏御父上、土屋羽子氏、砂崎××子さんに出すべき手紙を書く。筆あしく少しも思ふ様なるハ書けざりき。筆ばかりではあらじて、此れ認め居る間に下の女中先日分の書付持ち来れり、中々に細かきもの哉、下××と云ふものを始めて知りぬ。百聞ハ一見にしかず。実にこれを知りし許りにても(少し大ぎょうなるが)大に新知識を得ぬ。少したちて貸本屋来る。魔風恋風の後編を持ち来る。手紙書き終りて読む。夕飯後までかゝりて読み終る。気の毒にて浮ふ時なかりしハ初野なり。あれほどの学力と品性と強固なる意志と友情とありてあの如き最後に及びたる天の善行に幸し悪に禍する等云ふ語も当てにならず、つまり人ハ運命の手に弄るゝものか、あゝ浄々×日一点の功心もなく悪と云ふ事を露ほども知らぬ可○可心の清き清き情は××××てる、実に乙女として理想とならん。されど悲しい哉世ハにごれる。世ハかゝる清き心を久しう保たしめず、あゝ思へバ中々に世ハ複雑なるものよ、處世に困難なるものよ。あゝ清きハ芳江の心なる哉。波子は小供とてしかたなく為めに初野は何程困らしめられしか、島井の本宿屋の女将、かかる商賣等せるものハかゝるものかおそるべし。東吾の芳江への離縁を申込且退学を決心せしあたり、初野との関係を生父母にまのあたり有のままに語るあたり誠に心地よし。されど一度初野にちかひし後養家の父母と生父母とになぢられてすゑとの結婚を承諾せし處ハ面白からず。たとへ一時のがれかは知らねど、一時ののがれにてハ尚々男らしくなし。初野死後東吾ハ芳江と婚して×××の養子とての後半世ハ如何なるものにや。如何に芳江の清き清き情なりとも、五月雨そぼふる孤燈のかげに初野のやさしの面影しのばぬ事もあらめやも。前に返りて初野の家に殿井が来りて、いやさに初野の逃げ出し居りし處へ東吾来り、はしなくも表にて逢で×下×の影に二人語れる時、東吾の初野の一身上を引うくるべくちかひし時及初野の東吾の家を尋ねて途中にて逢ひ、二人つれ立ちてそぞろあるきに始めて確くちかひし此一群の対話、げにげに人世の最も美しきものにはあらぬやと思ハれぬ。読み終らんとする處へ手紙来る、うれしや三本一所に。
友と叔父様と校長と、第一校長よりのゝを開く。次に叔父様ののを。朴念人の様な人なれど、年も分り動きもあり深く深く我を愛し×あまり易っほぐも見てくれず頼みになる叔父なり。
次につき子さんの何やらやさしき書き方、国にある妹よりでも来りし如き心地して、人は其間に悪××ているの何のといろいろと云へば、皆世の人己が心より様て云ふ事併しつぎさんの御××ハいさ知らず、二人の中ニハ「ゆめ惑」感等はなし、うれしかりき
さみしさに雨戸押しあけ見れば、雨降りて空もいとおそろしうかきくもり、一人沈み入りめる心地す。今宵ハ何故にや思ハずも筆運び知らず知らずおもしろく、いろいろと書きつヾりぬ。あゝ今頃我君は一心に答案に筆はこび居給ふならめ。我筆は一心の我君も同じくおもしろく筆はこひ給ふしるしにや等おふほへて。宮坂先生の御話によれば明日は診断書貰ハねばならじ。
十二月二日
いつもの如く醫家へ行き診断書をたのみしに、前の診断書に日を限りあれば必要なからんと云ハれしまゝ止して帰る。帰りがけに少々買物等して晝後湯に行き、帰りて読書して来ることをまつ。四時頃にやうやく御出あり。小平徳一様の處御見舞せしとて、それより茲にて御飯共に頂き、九時頃まで居給ひて御帰りありたり。げにうれしかりき。御帰りありて少々夜更けしあれど、自宅へ出すべき手紙及学校の届け宮坂先生の手紙等かきて十時半頃伏す。
十二月三日 土
いつもの如く醫家へ行く。帰りて読書をなす。此日帰りに替×金受る。宿へ先日分の不足を拂ひ、本日分前金として一円渡す。午後依田みち子様訪らる。三時過ぎ迠いろいろと御話して帰らる。帰られて間もなく御出下されたり。高等学校演奏会入場券を求め参り下されたり、又新著浦島及ファウストを御求め来り下されたり、何か好める書物ことに有名の書にして又其×みしきうれしきに何とも云ひ様なかりしき。いろいろと御話して五時頃御帰りありたり。夕飯後手紙を書き、浦島を読み等して伏す。
十二月四日 日
今日は午後音楽学校の演奏会へ行く事とて、しばしたりとも午前に御目にかかり度思へば、いつもより早く起きられ、仕度もそぞろに行きしに、此日院長様×備病院宿直とて不在代診の事とて時間とれ、一時間も待たされて帰る。十時半それより御話して食事を御一所になし、早速仕度して上野へ行く。会場に行きしに未だ早き事とて席も多くすきありたり。しばらく待つ間に人集まり、さながら室にあふれ押しあふ如くなりき。二時といふに始まる。田舎者にて殊に音楽等のあまり×
会××××事なきものとて一層其感を強くしぬ。帰りにハ大いそぎにて帰りしに、はや五時にならんとす。いそぎ仕度し夕飯をすまして出で立つ。六時少し過ぎなりき。高木守三郎様の御迎へ参りしも時に六時半、始めて御目にかかりし事とて何やら遠慮勝ちなりき。高木の叔父様のあまり御やつれなりしにハおどろきぬ。要する處醫者のよからぬ様ならん、此によりても私ハよき醫者につきしと、けに幸福と思ひぬ。帰りて日記等かき伏す。
十二月五日
昨日あまり諸方をかけめぐりて疲労せしと、今日ハ別に新しき事のある事もあらねば、何となく床はなれがたく七時頃迠伏しありぬ。ゆるゆる仕度して行く。始めて洗へり。中々に苦しく痛あり。医家にしばらく休み居りて帰る。未だ痛み去らず心地悪しきまゝ床をのべて伏す。帰りに借り来りし小公子等よみて夕飯少しにして読み終る。けに潔×なく楽しき小説なりき。家庭の読物として如何によろしからん。殊に小さき小供等育つるかたはらに あまり今日ハ伏しつづけたりければ、夕飯後しばらく起き居りてファウスト等よむ。折から御兄様より御手紙あり。心さみしき折からとて如何にうれしかりしか。
医家の代診の品性の下劣なるおどろき入りぬ。患者も二三人もあり且女子のある前にて聞くに絶えぬいやらしき事を口にして平然たり。けに不快に絶えざりき。
今朝より歯の痛みにつれて顔はれ出し且痛頭も加わりて、何やら朝は食も進まず。何となし心さみし。夜に入りてあたり沈まり、辺りにかすかに聞こゆるピアノの音ゆかしう聞きなされぬ。
我の親を思ハぬとか帰郷支度なしとかの御言の×間しく承れり。あゝ君は知り給ハぬなり、思ハぬるハあらず家の柱父母のおもかげの我目前を去る時ハあらじ。されど帰りたりとて何も甲斐なし又絶えずか×××事のみあるへき運命にもあらず。又未だはなれかたき年齢にもあらず、又四月以来玆に分るゝの母等にハ如何にさみしからんと思へば今より少しははなれ居る方よからんかとも思ひて、我ハ父はあまり好ましからず。されど母ハ・・・・・・。母に文かくすべのあらんにハ如何にうれしからんに。情の×結せし如き何事にも心動かさぬ父等にハ、如何に手紙やりしとて貰ひしとて要事を辯ずるのみ何の楽しみもあらず。母か思ひ給へる暖き我に対する愛情を表すべき筆あらば如何にうれしからましを。
十二月六日 土
朝起き出で見ればいつに無く霜あつき霧さへ深く立ちこめて、其寒さ言ハン方無。あゝ我故郷もかくやとそゝろに思ハれぬ。いつもの如く医家へ行き、帰りしに何故や痛く疲労して早や袴とらん勇気もなし。在京中に是非とも読み為さんと思ひし乳兄弟、はや帰宅の日も近きし事とて今日××き×借り来りて読む。誠に温情のこもれるやさしき良好なる家庭小説なりき。
何やら今日ハ身体のつかれし如き心地して、心もうきうきせぬ事とて、湯にでも入らば少しは気も晴々せんかと思ひ、やうやく心はげまして午後一時頃湯に行く。ゆるゆる入りて帰り、しばし身づくろい等して先の書よみつゝ、只ニ一向に君の御出をのみまてり。はや帰宅せねばならぬ日の近づきしとて、今更ならねど御別れのかなしきのみむねつきて、自らあやしき許り涙のみむせばれぬ。夕飯後御出ありたり。御別れの近きと思へば云ひしらず人はおもかげのみしたはしくはなれがたうなりて、千萬の言葉に変わる萬感無量の涙………あまり女々しと強く制するとも甲斐なきを如何せんや。いつもいつも御目にかゝれず、善悪正邪の何の考への浮ふ間も無、何もかも御話申してハ一方ならぬよろこびにうたるゝなるを、まして今宵はゆるゆると思ふ事何やかや取りとめ無けれども、御物語して其如何にうれしかりしか。我が君に対しまつるにハ普通の夫の君として申上まつるにあらず事理明らかならず何もかも話の合わぬ親の変りとして、又此世に得がたき兄弟として、又心弱く世の荒波に絶えずふむべき道さへ誤り易き我身の良師友として、たヾたヾ一に敬愛し信頼して、我身我家の末久しく其御身にゆだねまつる君なり。されば従って我の敬愛しまつり、したひまつり、信頼しまつるあつきあつき心ハ、世にあらんかぎりの女が其夫にさゝげ居る誠心にもまされるものと高く高く我の信じ居るなり。其行にハ拙ならんも言容にハ表し得ずとも、君が我に対し様ハあつきあつき愛の天地あらん限りとこしえに、此現身の終らん後までも御変りなからん事をのみ一向にいのるのみ。名誉位置権勢、一も×とする處にあらず。出来得べくハにくしみそしりねたみ多き世をよそに二人のどかに過ぐ事を得ば あゝ如何にうれしう満足ならぬやも。あゝ此夜はうれしさや悲しさに涙の多き夜なりしよ。
十二月七日 水
醫家より帰りて乳兄弟をよみ午後読み終り、晝食後散歩がてら上巻を返し、下巻を借りて来る。晝ハ会のあるとやらの御話もありし事とて如何にやとハ思ひしも、何やら御出のある如き心地せられ、それとハなしに戸の開かる音にのみ耳そば立ててありぬ。やがて思へるが如く御出ありたり。東京の地図等持ち来たり見せ給ハる。学校と宿とハ中々に近くしてげにおどろきぬ。あゝ今迠の久しき間毎日のこと玆まで御出しうれし事思へバ、有難きうれしさに涙のみむせばれぬ。今日はしばらく××して御帰りありたり。御出の折から丁度宮坂先生よりの御手紙あり。今更なれどやかましき規則は何の為めにかゝるこまこましき人の関係をうけねばならぬにや、同じ人間てふ自由を以て生まれし一個の人なるに、あゝ此れも浮き世のつとめにや。それにしても師範等へはあまりよろこびて入るべき處にハあらじ。我の如きハ前途盲なりし故此上無よき處と思ひて入りしも、今となりてハあまり有難き事許りとハあらじ。かくかかる規則のやかましきか苦しき許りならば、此れ等ハしのぶべし義務として、されど人の性質の上に非常の変動を与ふるものと深く深く感ずるなり。ことに卒業後男教員の中等に居りてハ一入なり。女子に尊ふべきすみれ野菊のやさしき性情ハ少なく、さりとてぼたんの艶なるもあらず、只此れ枝ぶりためまげられていぢけしはてたる鉢生の松か、はや延ふるにもあらず、色ますにもあらず、さりとて山桜のそれのごとちるにもあらず、しほむもあらず。げにあはれなる師範出のおみなだちよ、今後の園丁の手にこそ、げにげに我希望ハ多くあふるゝよ、すみれ野菊のやさしき處、海どうのしほらしき處、梅の気高くおかすへからざる處、松のみどりの色変わらぬ處、朝夕に見間はまほしき限りなれ。御帰り後と食後故とにて乳兄弟を読み終り、女中にたのみて返す。後日記を書きて伏す。九時半今宵ハ何やら心さみしうくれ行く。そらにもあはれのみこもれる心地してかくハくだくだしく記しぬ。
乳兄弟の中の第一の人物は君子の××なり。げに女子としての好模範なり。あゝ房江の清き心只に前の良江の如き無邪気の清きにあらず、道徳的意志の動きし清きたり、宗教家としても又立派の信者たり、房江の心ハ×時如何にのどかならん、
君江ハ又富をのぞみ虚栄心にかられし女子の好いましめなり、しかし死の時にのぞみてハ少しハ許すべしか。
昭信ハ可もなく不可も無き人物、あの様に選ばれしもせん方なかりしならんか。後に君江に心動き出し結婚とかたく思ひ定めしに至りしハおしき事なり。しかし普通の人としてハかくなるが普通か。君子の母ハ慈母としての好模範、母の愛と云ふものハかゝるものか
房江の実父の境遇不幸にして光昭の××××××。さすれ愛妻に等しき一女子房江其時に直の子とハ思ハぬ迠もより充分の看護もうけて心のどかに去りしを以ってうらみなし。
十二月八日 木
いつもの如く医家へ行きて療法を受け、帰りに病状につき種々質問し、又診断書を貰ひて来る。帰宅後手紙を書きて出す。今日ハ非常の風にて砂ほこりとひちり、外出中々とに困難の様見えしも、今日ハ髙木氏方へ行く都合なりし故午後より仕度して行く。着二時少し過ぎなりき。守三郎様ハ御不在、高木老人様は只今医家より帰りし許りとて、在宅は奥様といろいろの御話をし居る間に、二人の令嬢が打ちつれて学校より帰り来られて、ともに話等して遊ぶ。一ばん小さき清子人形や人形の着物等沢山出して見せらる。可愛らしき清子よ。高木様今日遠からず帰国を許されしとて大よろこびにて居られたり。己れも今日ハ帰国の日のほゞ定まりしを早く帰らんと思ひしも、清子様だちと遊びて面白さに遂永くなり、四時少し過ぐる頃玆を辞して帰る。
宿まで来りしに丁度御出のありしところにてうれしかりし。共に中に入り夕飯等食し、種々今日の事ども御話す。此れより非常に御忙しきよし。あゝ今迠にもわれよりも多くの御じゃまをし、又する事のいとど心苦しきにていられ。自宅より書留来る。田舎ハ中々に存外の出費あるをかくも少しも不自由無送らるゝ、げに有可たき事にこそ。御帰りありし後も昨日の如く悲しくハあらざりしもさみしかりき。御持参し下されし会の御菓子の中二つ頂く。高木様方にて種々御馳走になりし上、亦一寸たりとも夕飯食し随分胸苦しき程なれども、好めるもの殊に君が暖き御心のあふるゝものとて其のうまかりし事よ。床の中にて読書し十一時頃伏す。
十二月九日 金
医家より帰りてハ何も変りたるなく読書して送る。昨日持ち来りし新夫人のつヾき読み終る。あまりよい小説とハあらねども、一寸面しろし。剛三郎の人物ハけに名の如く男らしい。併し惜しいかな、あまり情を解せざる。松枝は虚栄心にかられたる女とてかくハ事を誤りたるなり。
午後も読書し居る。つれつれの至りなりき。折りから菓子賣り来り発賣の廣告とていろいろの事を云て一寸おもしろかりければ一寸買ひしにつまらぬものにておかしかりき。午後三時過ぐる頃御出あり。昨日御風邪引かれしとて少々御顔悪しく見つけまゐらせたり。肩等少しもみ等し、後いろいろと帰宅に付ての御話せり。はや一週たらずして此地を去るなれど、更らに其様なる心地せず。いつ迠もいつ迠も御そばにある如き心地して、五時少し前御帰りあり。夕飯後スケッチブック等よみて伏す。
十二月十日
例の通り医家へ行き、帰りに堀の端に出て、それより飯田町停車場に行きて汽車の時間を見て帰る。玆を出づる時に少々雨降りたり。今日の寒さは何とも云ハん方なく手もちぎれん許りなりき。帰って火鉢一ぱいに火をおこしてあたれども暖かからず。かかる時にコタツほしき心地せり。折から十一時と共に晝の膳ハ運ばれぬ。あやにく冷かなる飯、身もふるひ出せり。帰りてあまりの寒さに湯に行き、今日後にてもしや湯に入れぬ様にでもなりてハと思ひ、ゆるゆる入りて帰る。帰り見しに早や御出あり。此日寄宿舎の移轉とか承りしが無かりしとて、久しく御待たせして申訳なかりき。帰宅の日等ニ付き種々御話せり。五時過ぐる頃御帰りありき。夕飯後自宅へ出すべき手紙を書き、後少々読書して伏す。此日田村徳衛氏戦死の報あり。出征せし上ハ死するハ覚悟とハ云へ、今更らの如く感ぜられぬ。今日寒かりし故にや、ノドの具合悪しくからみて困難なり。
十二月十一日
昨夜ふりいできたる雨、いつしか晴れて雨戸押あけし頃ハ、はや空一面に晴れ渡り、木々の梢にかヾやく露の玉のいと美しう××から我郷里等の十月頃かとおぼえぬ。支度もそこそこに出で立つ。田舎にハ中々に得がたき途の悪るさ。一月あまり引きづりつゝはきへらせし下駄にて、ほとほと困りはてぬ。ことに今日ハ昨日より気分悪しければ、足の運びもはかばかしからず、一時間もかかりて着きぬ。今日も又代診にて中々に時間かゝり、帰宅の時ははや十一時半頃なりき。何やら気分引き立たさりしか、衣服形付け等して晝をすまし、後ハ只君が御出をのみまてり。午後一時三十五分頃御出あり。今日寄宿移轉ありつかれしとてしばし休らひ居給し、後御話し午後しばらく御勉強あり。此間に自宅へ出すべき手紙を書く。十五日に出立出来ぬとて夕飯を共に頂きしに其うれしかりし事よ。夕飯後に来らん帰国以後の事等いろいろと御話して、午後四時頃御帰りあり。共に御話する間ハげに天国に遊ぶと云ハんか、心中一点の邪念もまじへず、真に真にうれし。それより少々日記つけんと思ひて居る處へ、笹岡つぎ氏より御手紙ありき。やさしき氏が心なる哉。
十二月十二日
医家へ行き病気につき種々質問せしにのどハ切るに及ばず、併し鼻ハ未だ汁多く出でて帰宅ハまだ出来まじとの事なりき。帰りがけに本郷にまいりて為替受取り、宿へ帰りて衣服等着かへ、今日の一日を如何にして過くさばやと思ひ居る折り依田みち子嬢田尋ね給へり。嬢ハ今日ハ晝に何ハなくとも差上度ければ是非これより来られよ強てのすゝめに、いなみかたくて仕度をして先に出で立つ。弁天様とやらの處ハ、前に北澤先生宅より帰りに至りてよく知れり。牛込へ入りしに遠かりし事よ。御宅へ至りしにに小さけれどもよく整ひし小きれいの家なり。まづ入れば父君とやらいと×××に誠心よりしてむかへくれぬ。母君の方と姉君の方とハ、勝手口にてとんとんと云ふ音させて御馳走こしらへるの最中の如し。此れみち子氏より道にて聞きしシャコの天ぷらとやら我が為めにわざわざこしらへくるる處と寫真等拝見し居る間に、いと品よき母君の方出でられ、しばらくして又姉君の方出て来たるなり。誠心こめられし手製の御料理に、数ハ少なくも器ハ粗なるも只其誠心に心地よくうれしく、沢山頂けり。後しばらく御話して、今度ハ依田氏よりの話の東京の名物、学生の知らざるべからざるてふ焼芋の御馳走、名物丈ありて中々に甘かりき。此れ始めての故もあらんか。三時少し過ぐる頃帰る。氏か家は別にさして富める事はあらぬ様なり。されど親子四人如何にも楽しげに見うけられたり。夕飯後浦島の二度読みをして伏す。
十二月十三日 火
昨夜ハさみしくつれづれのあまり浦島の二度読み、ファウストのひろい読み等してはやつき果てても未だ七時少し過ぎし許りとて、為す無くしてあらば、かくも時の過ぐるの遅きものにや。只あれば、つまらぬ事ども心に浮びて心地悪しければ今宵ハ未来の楽しき数々心の表に創造して楽まんものと、燈に向ひ両の手ふところにして只々花に戯るゝ明蝶のゆめのそれの如き楽しき夢地にあくかれぬ。たちまちにして魂も飛んで何處にやかけるらん。けがれる浮世のこまこましき事に心用ゆるのいかにも悪なるものなるよ、たちまちにして廣き廣き洋々たる青海原になり出でたる心地しぬ。我にかへりし時に早や九時半、床のべて伏す。結ぶ夢地もいとのどかに佳香の国に遊ぶとハかく折をや云ふならんかとおもはれぬ。たちまちにして呼びさまされ起き出で見れば、一枚のはがき父より種々申しこしくれぬ時に此れ十一時。此れにてしばし夢ハ破られて早や中々ねむりやらず。二時の音を聞きてやうやくねむりぬ。今朝はいつもの如く起出でみれば、空×にかきくもり雨さへ降りしきり、いとヾ心もふさきかちなる心地す。支度して出で立つ。お茶の水より電車に乗らむかと思ひしが、下駄よければ足の運びもかいと軽くそれも及ばすして行きぬ。今日ハいつになく中々止まん気色もなく、寒さいやましにつのりて中々に苦しかりき。帰宿早々火鉢もわれん許りに火をおこして、やうやく暖まりぬ。今日の寒さにハほとほと故郷のコダツのしのばれて、宿の女中ニ問ひ若しや在らば借りんと思ひしが、それもなければせん方なく、ねまぎ後よりかつぎ等して過ぐしぬ。御空と共に晴れやらぬ心に身動きするだにも物うく、只火鉢のそばに読書してくらしぬ。毎日の事なれば、はやあらん限りの書は大概目を通さぬハなきほどなれば、只無意識に私小説くりひろげ居りしに終りに幸田露伴氏の心のあとの抄出あり。新聞にて常に読めども、今日ハ僅かの章なりしと他に心忙しからぬとによりてハ、よくよく妙味とやら幾分ハ伺い知られし心地しぬ。晝の間ハ時々あられの交りて降りしが夜に入りて雪さへ降り出しいとど四面美しうなりぬ。
十二月十四日 水
朝起き出て見れば、昨夜よりの雪未だ晴れやらず空の様さへいと物すごく、いつ晴れんとも見えず。かかる日の医家行き、げにげに困難なる事よ。されど一日たりとてゆるがせに出来難く、支度して出て立つ。道いと悪しく殊に今朝ハ少々時間後れし事とてお茶の水より電車乗り行く。
診断書を貰ひ帰る帰りがけに下駄買い来る。晝終りて只火鉢のそばに寒さをしのぎ一寸も身動きするだに物うきまゝ、ねまき引きかけたまゝ読書し、又は種々考ヘ等して居る。今日天気ならばもしかもすれば御出あらんかと思ひしも、此あれにハといとどさみしく空ながめ居る折から御出ありたり。あゝかかる風雪をも寒さをもいとはず御見舞下さるあつき御心にたびたび涙にむせびぬ。しばらく御話して御帰りありたり。明日ハ試験とやらあるとの御事いと御心も心なく入りせらる御事ならめ。御帰りの後直に夕飯をすまして後は只読む心もなく、帰宅の土産物等考へ後日記を書き伏す。
十二月十五日 木
雪尚止まずいとヾ寒さはげしく、道さへ悪しくやうやくにして行きぬ。帰りに勧工場によりて少々土産物等とゝのへて帰る。午後湯に入り後は為す事もなくすごし、夕飯後君の御出を首さしのべて待ちわびし頃御出ありたり。道の悪しき事寒さに………且明日ハ亦試験あるとか、あゝ今頃云はんもおろかなるわざとぞかし。御帰りの後ハ直に伏す。
十二月十六日 金
いつもの如く仕度し行かんとせしに、雨いよいよ激しく降り出し一歩も出らるべくもあらねば、少し止みてにと思ひ居る間に、はや時間過ぎて如何ともせん方なければ、医家行きやめて勧工場に行きて土産物買ひ、帰りて晝をすまし後、直に北澤、高木両宅へ御いとま乞に行く。何處も何處も病人やら病の重××ふしやら只々おどろきつゝ急ぎ帰る。久しく待ち給ひしとか、それ許り心にかかりて大急ぎに帰りしも、道遠ければ道久しくかかりて×れしぬ。夕飯前に御帰りあり、後ハ少々帰宅の用意して伏す。
十七日 土
いよいよ明日帰宅とて医家にも其意を告げ注意等聞き帰る。当地に久しくありながら未だ一度も伊藤の三平に逢ハねば、此れにて帰らば郷里××までの前へも如何にと思ひて一寸尋ねしにたちまちにして知れ、一寸面会し其×に丁度四年ぶりとて共に来られ宿によらる。帰りて後依田さん来りくれたりしが、後に来るとて御帰りありたり。次に我君御出ありたり。しばらく御話して後少し買物あれば行く。帰り見れば誰も居らずして依田さんのみあり。土産物として持ち来くれしものうれしかりき。しばらくして我為めにカバン買ひに行きしとて持ちて帰りあり。あゝいつもながら我為めには如何なる事とも御いとひなくなし下さるゝ御心の有難さ物体なさ。夕飯後しばらく語りて依田氏は帰らる。それより荷をこしらへ等して居る所へ三平来りたり。我家への土産物及××への手紙もちて、帰りし後は用事もなければ早く伏す。
十二月十八日
いつもの如く起き出で仕度して帰途につく。君がまごころこめし御見送りにまして、依田北原諸友の送×ありて、いとど心にふかく感じぬ。無情なる×車ハまたゝくまに走りて、君が下車し給ふ停車場に至りぬ。押しかくせども自らもるゝ涙、君か御後かげ××迠も車窓に頭出して居りしもはや×えられずして己が座にもどりぬ。さながら後髪引かるる思ひす。数多の停車も夢の間ににら崎にハ着きぬ。停車場には父及××の来り居るを見て心丈夫なりき。
二十六日
今朝ほど床はなれのうれしう希望に満ちたる生々たる日ハ×××ニハ覚えさりしき。帰郷後始めて×しく出我も出来たりしよ。何事も×るもの為×、×しからぬハあらさりしょ。 あゝ此れ何より×か。あゝ我君が御帰りありて×××昨夜二夜を過ぐし×すれど、只單に何事もなき御帰りとのみにてハあらじ。御××折×御帰り此れ我ニハ其中なるよろこびと希望とを与へられしなり。昨夜突然御目にかゝりし時の我心中、あゝ知る人ぞ知る。授業もそこそこに、もしや御帰りありハせずやとて息せきつつ帰宅しぬ。されど御××ハ見えず。日暮るゝまで心まちにハ御まちせしも、此れ一日に母上様や其他の方々につもる御物語りに去りがたく有るべし、又一日ハ我家に村の人等やかましければかくはし給ふあらめ。 夜やゝ更けてハ如何にやと、夕刻より火等の用意ととのへて一人さみしく上座敷に御まちせしも来給ふ気はひなし。
はや村の人ハ皆帰りしに外の方ハ日いと明るく道もあまり苦しうあらぬに……我一人さみしう首さしのべてまちつゝあるも知給へめるや。
昨夜ハ道中のつかれにあまりいろいろと申し上ては却て御迷惑かと何も語らずに一夜をあかし、夕×ハ早々に出残。あゝ、如何に××地のせられしかよ。あゝ早く帰来ませ。今頃ハ如何にかおハさん。十一時も早や来らるる事はあらざるべしと思ひて心ならずも床に入りぬ。明日必ず帰り給ん事をいのりつゝ。
丗日
君が出で行き給ひし故にや、亦今朝寒さを犯して医家へ行きし故にや、未だ遠く行き給はぬ折より総身さむき心地して頭痛さへ加ハりて如何ともせん方なく床に入りぬ。熱きこだつに沢山の夜のもの着居れど、身ハさながらさへるが如く、亦顔より頭のむかむかと逆上する心地して、日くれ迠ゆめのごと過ぐしぬ。君の御面影のみ表れ、我前に居給ふ如き心地して、あゝ何故にかく僅かの間なれどはなれがたきか。晝は沢山甘う食事に引かへこだつにて僅か食して止めぬ。全身の元気×うに失せし心地して、母ハ非常に心配して身体等もみくれぬ。
2021年1月17日 初稿完成
2021年2月1日 横組作成、若干訂正
出納帳
一、一円三十五銭 汽車
一、五銭 馬車追加
一、拾五銭 べんとう
一、一円九銭 宿料
十一月三日
一、一円 宿料及べんとう
一、参円 下宿料支拂
一、一円 醫家初診料
一、六銭 電車
一、十三銭 まきがみふー
とー切手
一、三十銭 薬代
十一月四日
一、十銭 車代
一、二銭五厘 湯代
十一月五日
一、三十銭 茶代
一、二円 手術代
十一月六日
一、 三拾銭 薬代
一、 二銭五厘 湯代
一、 四銭 ちり紙
十一月七日
一、 参拾銭 薬代
一、 二銭五厘 湯代
一、 四銭 遊就館見代
一、 三拾一銭 宿屋拂追加
一、 五円 下宿屋前拂
十一月八日
一、 三十銭 薬代
一、 拾銭 車代
一、 二銭 ぞーり
一、 五銭 まきがみ
十一月九日
一、 四拾銭 薬代
十一月十日
一、 参拾銭 薬代
一、 一銭 洗粉
十一月十一日
一、 参拾銭 薬代
四銭 ちり紙
十一月十二日
一、 参拾銭 薬代
一、 七銭 ふーとー紙
一、 五銭 手帳
一、 三銭五厘 鉛筆
一、 拾五銭 切手ハガキ
十一月十三日
一、 拾九銭 元水 すみれ×杯
一、 五銭 まきがみ
十一月十四日
一、 六銭五厘 美術品見代
一、 二十四銭 小刀
一、 参十銭 鏡
一、 一銭 揮発油
十一月十五日
一、 参拾銭 薬代
一、 二十三銭 洋傘直し代足袋洗代
一、 二銭 貸本見料
一、 五銭五厘 テヌグイ一筋
一、 五銭 水油
一、 壱円五十銭 手術料
十一月十六日
一、 六銭 切手一枚はかき二枚
一、 二銭 貸本見料
十一月十七日
一、三十五銭 薬料
一、拾銭 しゃぼん
一、一銭 貸本見料
一、一銭 しょうゑんじ
十一月十八日
一、四拾銭 薬代
一、参銭 そーだ
十一月十九日
一、 八拾銭 薬代診療費料
一、 弐銭五厘 紙代
一、 十五銭 切手
一、 二銭 湯代
一、 一円五十銭 手術料
十一月二十日
一、二銭 貸本見料
十一月二十一日
一、 参拾銭 薬料
一、 拾一銭 糸針
一、 廿二銭 布
一、 七銭 まきがみふー
とー
一、 弐銭 貸本見料
一、 六銭 切手
十一月二十二日
一、 四拾銭 薬料
十一月二十三日
一、 参拾銭 薬料
一、 拾銭 菓子
一、 弐銭五厘 足袋洗代
一、 六銭 切手
一、 二銭 貸本見料
十一月二十四日
一、 参拾銭 薬料
一、 弐拾八銭 贈物代
一、 二銭 貸本見料
一、 参拾銭 薬料
一、 二銭 貸本見料
一、 拾銭 菓子(客用)
一、 三銭 ふーとー
一、 一銭 洗粉
一、 二銭 湯
一、 弐円五十銭 手術及診断書料
十一月二十六日
一、 三銭 切手
一、 三銭 ハガキ
一、 弐拾銭 菓子(客用)
一、
十一月二十七日
一、 参拾銭 薬料
一、 拾銭 みかん(客用)
十一月二十八日
一、 参拾銭 薬料
一、三銭五厘 貸本見料
一、拾五銭 志賀さん宅へ土産物
十一月二十九日
一、 参拾銭 薬料
一、 二銭 テップ代
一、 六銭 切手
一、 二銭 貸本見料
十一月丗日
一、 四拾銭 薬料
十二月一日
一、 参拾銭 薬賃
一、 五銭 まきがみ
一、 九銭 郵便
十二月二日
一、 参拾銭 薬賃
一、三銭 紙
一、三銭 筆
一、六銭 切手ハガキ
一、二銭 貸本賃料
十二月三日
一、 三拾銭 薬料
一、 六銭 ちり紙
一、 拾銭 菓子(客用)
一、 六銭 切手
一、 参拾四銭五厘 十一日分宿料不足分
一、 参円 十二日分宿料前金
十二月四日
一、 参拾銭 薬代
一、 参拾銭 高木様へ御土産物
一、 三銭 電車
十二月五日
一、 四拾銭 ××料及乗×
一、 九銭 まきかみ ふーとー
一、 一銭 貸本見料
十二月六日
一、四拾銭 洗料及薬代
一、二銭 はみがき
十二月七日
一、 一銭 貸本見料
一、 四拾銭 醫家へ
一、 二銭 貸本見料
一、 六銭 切手及ハガキ二枚
十二月八日
一、参拾五銭 醫家
一、参銭 切手
一、拾七銭 写真速報一冊
十二月九日
一、四拾銭 醫家
一、拾銭 菓子土産用自宅
十二月十日
一、四拾銭 醫家拂
一、参銭 切手
十二月十一日
一、 四拾銭 醫家拂
十二月十二日
一、 四拾銭 醫家拂
十二月十三日
一、 四拾銭 醫家拂
一、 六銭 切手一枚ハガキ二枚
十二月十四日
一、 四拾銭 醫家拂
一、 五拾銭 診断書
一、 三銭 切手
一、 四拾九銭 下駄一足
一、 三銭 電車
十二月十五日
一、 四拾銭 醫家拂
一、弐拾銭 土産用 白粉二つ
一、九銭 〃
一、十四銭 〃 東京景画
一、十二銭 〃 封緘紙
一、八銭 みとめ印
一、参銭 電車
一、壱銭 切手
一、弐銭 湯代
十二月十六日
一、 弐拾六銭 画帳一冊
一、 五銭 まきがみ
一、 拾一銭 くし
一、 七銭五厘 かんざし
一、 八銭 しゃぼん
一、 拾弐銭 画はがき
一、 参銭 切手
十一月三日夜 自宅
十一月四日ひる自宅宮坂三輪藤森笹岡つ ぎ
十一月七日ひる 自宅
十一月八日午後 自宅 秀三
十一月十二日夕 ××三輪小野岡部××自宅宮坂
十一月十五日 夫より自宅へ
十一月十六日 自宅へ
十一月十八日朝 北沢あきの先生小林輝長同妻
十一月十九日夕 小柳岡部藤森自宅笹岡つぎ
十一月廿一日夕 宮坂自宅
十一月廿三日朝 依田
十一月二十六日 自宅ハガキ
十一月二十七日朝 自宅ハガキ
十一月二十八日 自宅
十一月二十九日夕 岡部宮坂
十二月一日午後高木兄様土屋××崎れん子
十二月二日朝 自宅宮坂
十二月三日夜 叔父つぎ様
十二月六日 自宅へ
十二月八日ヒル 宮坂
十二月九日朝 自宅へハガキ
十二月十日夜 自宅へ手紙
十二月十一日夕 自宅へ手紙
十二月十一日朝 依田
十二月十四日朝 笹岡つぎ氏ハガキ
〃 女子同窓会行事へ〃
十二月十四日午後 自宅へハガキ
〃 宮坂
十二月十六日夜 中島