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祖母が残していた雑物のなかにあった文書だが、幅142ミリ、長さが7メートルにも及ぶ大変長い文書である。一行が8,9字で大体1700字ぐらいになる。大体何が書いてあるかは分かる。ともかく幕末の諏訪藩の財政が危機的になっているのでこれを何とかしないといけないので、その方法を藩のトップに献策するというものであるらしい。書いた人の署名がないが、書いたときというのは分る。倭姫というのが出てくるので、この人は『諏訪家譜』によれば九代藩主諏訪忠誠の妹で、文政10年(1827年)の生れである。そしてこの資料が書かれたときは「御幼少」だという。「倭姫様之義ハ去ル寅年」という記述があり、このあたりの寅年は天保元年(1830年)にあたる。書かれたのはこの年以降であることになる。あるところで「諸向御入用減方之義昨午年」ともあるので、これは天保5年ということになる。書かれたのはしたがって翌年天保6年(1835年)らしい。このあたりでは小松家は小松与兵衛という人が当主であった。しかしこの人がどういう人だったかはさっぱり資料がない。次の吉蔵は天保元年のうまれで、明治8年に45歳でなくなっているが、彼は下筋のお蔵番であったというので、藩の財政にも通じていたはずだが、ちょっとこの文書の書かれた時とは合わない。ということでなんでこういう文書が家にあるのかは判明しないが、ともかくけっこう貴重な文書であることは間違いない。よくわからないところもあるが、もう少しこの文書について検討してみよう。一つなになにということで全部で長短の差はあるが9章からなっている。最初の部分が破損しているので、初めがやや不明だが、内容的にはそう多く前の部分が欠けているのでは無いようにもみえる。まず一年の総出費を3割減らしてほしいといっている。林田小右衛門という名が出てくる。この人物は藩財政にとって重要な人物であるらしい。次は「方々様御分規上ヶ金之義は」というのがあるがこの「御分規上ヶ金」というのはよくわからないが、「殿様、大殿様、大御前様」出費半減にしてほしいという。倭姫、於政は幼少でそう金もかからないので云々とある。次にいろいろな人が江戸の屋敷にいる間の諏訪の留守宅に無駄な経費がかかるので、不要なものはなくしてもらいたいということをいっている。江戸屋敷の節約はやはり3割減を言っている。林田小右衛門の名前が出てきて、この話にまあ同意をしているといった表現がでてくる。こういった人が藩財政に影響をもっていて、豪農層も藩に金を貸しているということはあったようである。あるいは小松家もかなりの地主であったので、上納金を出していたかもしれない。この文書が残っているという事情にはそういう事情もあろうかと思われる。藩の借金が全部で一万三千九百両だという記述が出てくるが、『諏訪市年表明治以前編』によると、「文政11年(1828)に藩の借金14116両の返済のために配下全村を相手に融通講を作る」とある。この文書でも大体同様な額の借金があったようである。これについてはいきなりこの額を返済しなくてもいいので、二三回に分割したりまた「不足之分ㇵ小右衛門御取替可致旨申出候事」ということも書いている。最後には「御年限中ニハ御勝手向き御再興復ニモ可相成候」という楽観論も見える。ただどうもこの藩財政の問題は根本的解決には至らず明治維新になだれ込むことになったとみられる。なぜこんな文書があるのか不明ではるが、なかなか興味深い一文書あではあるので、ここに小松家文書館における一資料として公開してみる次第である。
以下が本文だが、もとは縦書きである。改行は資料通りになっている。一行目は途中からになっている。
場与差(破損)
諸運上七百(破損)
合七千七百両餘御
入用与差引四拾両程
残金ニ相成右序拂
林田小右衛門江為見
及懸合候處同人
申出候ニ者大凡弐千両
程之御残金無候而者
臨時御入用等之御見込
欠可申御成ヶ相場之
(破損)も平均弐拾五俵
位ニ差積ふ申候而者
相當ニ無右ニ付
壱ヶ年之御入用髙江
三割餘之御減方相
付ヶ又々御ふ足ふ相立
様御仕法相立度旨
申出候ニ付昨午年
諸向御入用筋夫々
序拂元帳相改
都而平等ニ三割相
減申度候得とも
右之内ニ者公金向
始何分減付ふ申条々も
有之ニ付減付候分を
三割ニ而相省キ其外
仕法替以多し左之通
取斗可致候之事
一 方々様御分規上ヶ金
之義者此度別段之
以思召
殿様 大殿様
大御前様半減餘
之も御減少可被遊候
仕出
御前様之義ハ
大御前様御同居候
同様被為入候ニ付
御半減之上をも御省キ
可被遊
倭姫様之義ハ去ル寅年
御倹約調候而も御
幼年之御分規之侭ニ而
増上ヶ金も無之候得者
御半減ニも難相成併
三割を相減可申
於政様之義者御幼年
之義ニ付壱ヶ年弍拾五両
ニ而御間合候様被
仕出委細御分規
上ヶ金仕分帳之通
取調申候事
一 御留守中御茶之間
〆切ニ致其外御役方
茶番御徒減等委
細諸向御入用省方
調帳之通取調申候事
一 御参府御帰
城足軽中間人拂
致諸人数減方人
拂帳■之通取調
申候事
一 諸向御入用減方
之義昨午年江戸
御入用髙六千百九
拾両餘ニ候處夫々
減方付千四百拾両餘
之減相成候然ニ諏訪
御入用減方之義者
向々相尋ふ用候而者
此表ニ而取調出来兼
候ニ付兼而取調候
御入用髙之内仕法替
等致候義も可有之
候得共事実相分り
兼候間惣而三割
相減其餘人減等
之出目都合六百
三拾兩餘江戸諏訪
〆弍千四拾両餘相減
金之御入用髙御
成ヶ序拂大凡調
帳之通五千七百四拾
両餘ニ相成御序入
金七千百九拾両餘与
差引千四百五拾両餘
御残金ニ相成申候
右調を以小右衛門江懸合候所
別段存寄も無之
只此上之處ハ日々之
御入用其事ニ諸向
ニ而精々之取斗ニ至候ハハ
御調ゟを御出目も可
有之旨且又御立
入致候上者御在所
御国柄等も親敷
相伺居申度尤
當人義者他行出
来兼候ニ付手代
穀屋正兵衛折柄を以
諏訪表迠も差越候様
致度旨申出候事
一 御借財之義孰毛
證文書替ニ而當節
之御借入ニ相成居候ヘ者
右之内ニ者御扶持
被下又ハ利金之髙下
従来実意之淺
深も可有之又借上事
此内等寺餘金与者
乍申町家差金
も可有之孰連新古
利金等之連ニ一々
承り度小右衛門申出候ニ付
御借財取調帳之通
及懸合候處御借財
當金髙大凡取調帳
之通相認差出申候
右差積之義を金主
是迠御取引致候
情実又ハ先方之
氣合手許等を存
居候處ゟ之積之趣
申出候尚此上取斗
ニ懸リ候ハハ増減も難
計先朱書〆髙
之通壱万三千九百両
茂有之候ハハ當金相
済残金を年賦等ニ
相成段々ニ仕解も
相有可申外与存候旨
申出候右壱万三千
九百両之金子一時ニ
調達以多し候ニもふ及
来春ニ懸り候迠ニ両
三度ニ相送り差額
不足之分ハ小右衛門御
取替可致旨申出候事
一 右御借財成方懸
合以多しニ付而者諸
家様御振合も有之
義ニ付御倹約御取
縮之段御■■其外様
江奉札差出候趣ニ付
段々之諸家様御■■
を以別帳奉札案
之通取調申候事
一 御倹約被仰出候髙ハ
是又御振合も有之
義ニ付金主共召呼
重役ニ而御年限中
御借財元利据置
申度無心申述銘々
江右口上手扣相渡候
事之旨右之通取斗
候而も金主共中々
容易ニ永引致候
義ニ而ハ無之追々
懸合及混雑候事
ニ候得共実ニ御勝手向
御差支所餘金之
御返金無之与申所
小右衛門之差働寄
■きも無據譯呑
込候場ニ至候様取斗
終ニ者當金大凡
調之見込負数値ニ而
聞■年賦ニも可
相成義与存候旨
小右衛門申出候右ニ付
同人より御他家
御所之書付借用
別紙手扣之通下書
取立申候事
一 右条々取調ニより
諸向御省略別帳
之通取調申候事
一 右御借財振向ヶ
金之義御家中
半知半給御郡中
徳者共上ヶ金并相當
之髙懸テ又者地方
年賦引等之出目諏
訪ニ而取調候ハハ如何
程之入ヶニ可相成候哉右江
御前用減之内千両
餘も差加候ハハ御郡中
髙懸も相減㐧一
今度御手許始
格外之御倹素被遊
小右衛門相扶御
借財方茂夫々
相侘負数相減候毛
畢竟者在町之者
共難義ふ相成様
被遊度除キ
御主意之趣御
家中始在町之者共
悉相弁実ニ上下
一致之場ニ至り且又
是迠度々御省略
御仕法相立候而も
兎角欠け通ふ申候
有此上江戸諏訪
互ニ双方之取斗
一連ニ相成候様■
御用人双方より往
来以多し取調候者
勿論日々実践
之取斗ニ相成候て
御年限中ニ者御
勝手御再復ニ茂
可相成候右押■
之義諏訪ニ而取調
候之事