祖母が明治37年、23歳の時、鼻の治療のために茅野から東京に行って2か月余り滞在した折、同郷の一高生中嶋喜久平に手紙を書いて、中嶋がそれ対して寄越した返事です。
御玉章今朝ありがたく拝
披いたし候御病気にて御
上京之由は兼て承り及び
候ひしも御宿所も定かな
らず且種々眼前の鎖事
に関ひて御見舞も致さず
罪湯鑊平に御ゆるし被下
度候先以て御全快之由何
よりもうれしく賀し奉候
就ては実は参上いたし拝
眉の栄を得度希望の處月
曜より試業始まり平生ふ
勉強なる小子には目之
上之こぶの如く先此ままにて其
意を得ず何やかや勝手の
ことのみ申し上げ悪からず
御思召被下度候これと申して
別に家庭に用事も無之候
本月廿五日には帰省之途に上
る何れ静けき郷貫にて御
目もじ仕らるべく候先はとり
合へずご返事で早率之
際萬事意を果さず筆端
妨□御判読被下度候 以上
拾七日午前〇時
南寮七
中嶋喜久平
いさの様