書架散策 千田夏光 
戸坂潤 科学論 雷鳴のごとき観念論批判
 
敗戦三ヶ月後の某日。学徒出陣でとられた軍隊から解放されたものの家は「満洲」。帰るべきネグラはない。放浪のはて、やっと雨露をしのぐ三畳間をえたが金はない。その日の全財産は二十円だった。新宿にでた。東口の焼け跡にできた青天井のヤミ市でなにか食べ物を考えたのだった。五本十円の蒸し芋が目に入った。十円はその日の全食料費である。よし、と思ったとき、すぐ脇へ地ベタにゴザを敷き古本を山と積んだのがいた。
後から考えると戦時中に逮捕した人の家から押収した“蔵書”、それを敗戦後のゴタゴタのなか警察からカッパラって来たものらしかったが、ふとなかの一冊が目にとまった。十円だという。著者の戸坂潤がどんな人物かなど知らなかった。ただ科学の二文字にひかれたのだった。蒸し芋はあきらめた。夜、空の胃袋を抱えページをめくると心酔しきっていたカントがばさばさと論破されている。『純粋理性批判』『実践理性批判』をとおしカントのいう「物自体は知りえない」となることばを信じきっていた観念論の信徒へ、そこにある「しからば知りえないものをどうして想定しうるのか」のことばは雷鳴のごとくひびいたのであった。さらに四項目にわけ“物の考え方”をじんじんといていくくだりは、二度三度よみかえすなか、いつしか今日の思考方法になっていったのだが、それは後のことだ。
奥付けに三笠書房刊『唯物論全書』第一巻とあった。おろかな私はこのときはじめて唯物論なることばを知ったのだった。
それにしても戸坂潤とはいかなる人物か。翌年二月、ヤミ米担ぎでえた金で彼にくわしいという山形高校(現山形大)の小松摂郎教授をたずねにいった。山形は雪だった。途中で寝ているところを名人技をもった泥棒にはいている靴を盗まれた私は、はだしで雪を踏み先生をたずねた。
戸坂潤が、日本の哲学者のなかでその思想的理論活動のゆえ獄死した最初の人であること、場所は長野刑務所、敗戦直前の八月九日、四十六歳であったことを静かな言葉で教示してくださった。帰りに「これしかないので・・・」とわら草履を下さった。
先生はのちに甲南大学に移られたが『科学論』は三笠書房で復刻され、さらに『戸坂潤全集』全五巻におさめられている。ものの考え方を知りたいという若い方にすすめたいこと切なるものがある。(作家)『戸坂潤全集』第一巻所収  

注:当時私は三歳。こんなことがあったのは知るよしもないが、面白い記事なので、文書館に採用させてもらおうと思う。裸足で山形駅から雪の中あの家まで歩いて行ったのは大変である。靴は無いが草履ならと、草履を与えたというのも何とも時代を彷彿とさせる話ではある。甲南大学に移るというのは間違いだが、関西方面という認識は著者にあったようである。摂郎の日記では残念ながらこの日が何日かは確定できなかった。著者は2000年に亡くなったが、従軍慰安婦という言葉を始めて提起した人として、名を知られている。)

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