初代の石塔で以降その前に分家の墓ができたりしてすっかり後列で小さくなっている。右から読んでいくと、正徳元卯天四月八日 清譽浄本信士 覚譽智本信女 正徳二辰天六月廿九日となり、下に各灵(霊の字、中国の簡体字はこれを使っている。)とある。これは二人以前の各灵ということであろうか。正徳元年は西暦1711年で、310年ほど昔である。干支は十二支のみである。この辺の習慣はどういうことか、少し勉強しないといけない。